せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

有馬温泉に秀吉と官兵衛の足跡を訪ねて(前編)

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秋らしく肌寒くなってきたこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
温もりの恋しくなってきたこの頃、有馬温泉を訪れてきました。

神戸電鉄有馬温泉駅

電車を乗り継いで到着したのは神戸電鉄の有馬温泉駅
ガラス張りの建物は温泉地らしからぬ現代的な雰囲気ですが、 二階には茶室「有大庵」があり、実は和風な駅です。

有馬温泉は「日本三大古泉」の一つと言われ、非常に古い歴史を持っています。温泉が発見された時期は詳しくわかっておらず、大已貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)という神が見つけたとも言われています。飛鳥時代以降には天皇が入浴したとの記録がいくつも見られ、この時代には既に温泉地として知られていたことが分かります。その後、行基仁西といった僧侶が寺院や宿坊などを整備し、温泉地としての体裁が整えられていきました。

太閤橋

有馬温泉駅から交通量の多い道を歩いて行くと、有馬川のほとりに出ました。
川に架かるのは「太閤橋」
以前は「太古橋」という名前だったのですが、平成13(2001)年にリニューアルされて「太閤橋」という名称に変更されました。

秀吉像

太閤橋のたもとにある公園に行ってみると、豊臣秀吉の晩年の姿を表した像がありました。穏やかな視線の先に目を移してみると、有馬川にかかる赤い橋が見えました。

ねね橋

赤い橋は「ねね橋」
平成8(1996)年にできた新しい橋ですが、有馬川の景色に何だか合っているような気もします。 橋のたもとには秀吉の正室・ねねの像がありました。太閤橋の秀吉像はこのねね像を見ていたようです。

中世には全国有数の温泉地として整えられた有馬温泉ですが、1500年代に二度の大火に見舞われ、温泉街を見下ろす落葉山に城があったことから戦の舞台ともなり、荒廃しました。極めつけは文禄5(1596)年の慶長伏見地震です。建物等の被害だけでなく、この地震の影響で温泉の温度が上昇し、有馬温泉は致命的なダメージを受けました。
荒廃した有馬温泉の再建に協力したのが秀吉でした。
建物の再建だけでなく、湧出温度が上昇してしまった泉源の改修を行い、名実ともに有馬温泉を見事によみがえらせたのです。なお、有馬ではこの秀吉の改修以降、泉源の改修は行っていないそうです。

温泉街を歩く

秀吉の話が長くなってしまいましたが、まだまだ温泉街に入ったばかりです。
先を急ぐことにしましょう。
次回は、さらに秀吉と有馬温泉の関係に迫ってみます。

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