せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

城下町・明石を歩いて(前編)

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秋になったと思ったら夏に戻ったような暑い日が続きますが、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

姫路ウィークで姫路城を巡ってきましたが、山陽沿線で注目したいお城は姫路城だけではありません。今回は沿線の中核都市である明石の城下町を巡ってみました。

山陽バス明石線

スタートは朝霧駅前
ここから山陽バス明石線に乗ってみます。
山陽バスで明舞地区の団地を巡り、辿り着いたのは大蔵海岸西口。 随分と長い時間乗っていたようですが、結局、同じようなところに戻ってきたような感じで、近くには朝霧駅が見えます。たまにはこんなローカルバスの旅もいいでしょう。

中崎公会堂

大蔵海岸西口からほど近くには中崎公会堂という建物があります。
瓦屋根の見るからに古い建物ですが、実は明治44(1911)年の建築です。洋風建築が盛んな時代に建設されたにも関わらず中世風の和風建築が珍しいですね。
築100年を超える今もなお現役の公会堂として使用されていて、中ではダンスの練習中でした。

大日本標準時子午線通過地識標

中崎公会堂から山陽電車の人丸前駅の方向へ歩いていくと姿を現したのは立派な石碑。
こちらは明治43(1910)年に建立された日本標準時子午線の通過地を示す石碑です。
中崎公会堂の築年と近いのは偶然なのかもしれませんが、もしかすると、明治40年代辺りに明石が輝いた時代があったのかもしれません。
ちなみに、この石碑の前を南北に走る道は旧山陽道で、ちょうどこの付近でクランク状に曲がりながら東西を結んでいます。

城下町としての明石は元和6(1620)年に小笠原忠真が人丸山に城郭を築き船上城(山陽電車西新町駅近く、現在の明石市新明町にあった城)から移ってきたことに始まります。
築城とともに町も整備され、小笠原氏10万石の城下町として整えられていきました。
旧城下町の三木までを含む播磨では大きな藩の中心都市として栄えていくことになります。

柿本神社

山陽電車の高架を潜り、山手に向かうと現れたのは柿本神社
現在は天文科学館が目立っていますが、かつては柿本神社の森が明石のシンボル的存在だったようです。
神社のある人丸山は街中の公園といった雰囲気ですが、実は、この山は明石城築城のきっかけとなった明石の街のルーツとでもいうべき山です。

次回は人丸山から明石城へと巡っていきたいと思います。

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