せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

姫路城のお堀を歩いて(西部後編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
「姫路ウィーク」の今回は前回に続いてお堀から姫路城を見ていきたいと思います。

清水門跡

船場川と中堀の間を歩いていくと、少し開けた場所に出ました。
こちらは清水門という城門があった位置です。清水の名の通り、ここには「鷺の清水」と呼ばれる井戸があったそうで、門跡の横に井戸が復元されていました。
船場川と中堀はこの先も北へ北へと続いていきますが、ここでちょっと城内に入ってみましょう。

内堀

清水門跡から城内に入ると姿を現したのは内堀。
この堀は天守閣のある姫山をぐるりと取り囲むような形状の堀です。ちなみにこの付近、土塁で見えないのですが船場川、中堀、内堀の三本の堀が並行しています。
堀の内側は姫山原生林の鬱蒼とした森で、淀んだ堀がジャングル感を醸し出しています。

姫路城は、ご存じのように黒田官兵衛が生まれ、後に秀吉の居城となった城です。
ただし、現在のように整えられたのは関ヶ原の戦いの戦功で播磨国を与えられた池田輝政が入城してからです。江戸時代に入ってから本多忠政が入城し、この時に西の丸が整備されほぼ現在の姿となりました。これまで見てきた堀も1600年代の初めに整備されたものです。

北勢隠門跡

内堀に沿って歩いていくと巨大な石垣が見えてきました。
こちらは北勢隠門という城門の跡です。

大規模に整備された姫路城の堀ですが、大正・昭和期にかけて国道の整備や市街地の開発に伴い、一部が埋め立てられてしまいます。しかし、それ以外の何重にも巡らされた堀はほぼ当時のままの姿で残されています。こうした城は、日本では実は珍しく、天守閣だけではない姫路城の魅力を感じることができます。

大手門へ

北勢隠門跡をクランク状に曲がると観光客が増えてきて、見慣れた景色になってきました。

天守閣を望む

桜門橋まで戻ってきました。石垣の向こうには真っ白な天守閣が覗いています。
深い深い姫山原生林を見ながら歩いてきたせいか、少しホッとしてしまいました。姫路城の堀を巡る短い旅はこれで終わり…と言いたいところですが、姫路城のお堀は今回紹介した西部の他に東部にも残されています。また改めての機会に歩いてみたいと思います。

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