せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

播磨の法隆寺・鶴林寺を訪ねて(前編)

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酷暑が続きますが、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

前回、前々回と山陽電車の高砂駅から国鉄高砂線の廃線を辿ってきました。引き続き、線路跡の道路を歩いていると、見えてきたのは緑が眩しい森です。

播磨の法隆寺

こちらは刀田山鶴林寺
聖徳太子と所縁があるとされるため、「播磨の法隆寺」と呼ばれている非常に古い歴史をもつ寺院です。木々の中にそびえる仁王門は背が高く、整った姿で美しいですね。

三重塔

境内に入ってまず目に入るのがこの三重塔です。
室町時代の建築とされ、朱色が松の緑と鮮やかなコントラストを描いています。
市内ではかなり目立つ存在で、加古川市のシンボルとなっています。

本堂

境内の奥にそびえるのは本堂
京都・鹿苑寺と同時期の応永4(1397)年の建築で、 大きく非常に立派な建物です。

本堂の中は

本堂に安置されている薬師三尊像二天像は秘仏で、現在は公開されていません。
この建物は桟唐戸(さんからと)と呼ばれる扉を多用した造りで、堂内には松林を渡る風が吹き抜けていきます。

鶴林寺は崇峻天皇2(589)年、聖徳太子が日本を訪れていた高麗僧・恵便のために建立したのが始まりとされています。ただし、この話は伝承の色合いが強く、正確な創建時期はわかっていません。
創建時の「四天王寺聖霊院」「鶴林寺」に改められたのは天永3(1112)年の鳥羽天皇の勅願所になってからです。中世には播磨で有数の寺院となり、多数の堂宇が建ち並ぶ大伽藍を形成するようになりました。

太子堂

本堂の脇にある古めかしい建物が太子堂です。
元々は法華堂だったのですが、後に聖徳太子の壁画を堂内に描いたことから太子堂と呼ばれるようになりました。屋根や縁側に取ってつけたような部分があるのは、法華堂から太子堂になった際に増築したせいとのこと。

聖徳太子がこの寺を創建したという伝承は信憑性が薄いとされるのですが、古い記録には聖徳太子が播磨に土地を賜ったという記述があるようで、何らかのつながりがあったようです。この播磨にこうして太子にまつわる壁画が描かれて太子堂が設けられたのは、少なからぬゆかりがあったせいなのかも知れません。

古い歴史をもつ鶴林寺は見どころが他にもまだまだあります。
もう少し歩いてみることにしましょう。

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