せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

加古川を渡った鉄道・高砂線跡を歩く(前編)

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梅雨明け間近の頃、いかがお過ごしてしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

高砂駅

今回のスタートは高砂駅。
高砂市の中心駅で、駅前は賑やかな雰囲気です。

奇妙な景色

飲食店などが建ち並ぶ高砂駅前の店舗の裏側に回ってみると、駐輪場が広がります。しかし、何だか奇妙な景色…。
駐輪場は緩やかなカーブを描いていて、店舗は揃って背中を向けて軒を連ねています。この雰囲気は、廃線跡か、川跡か?

実は、この地には国鉄高砂線が走っていました。
播磨平野の東部を貫くように流れる加古川は古くから舟運が盛んな川で、江戸時代には丹波の農作物や陶器と沿岸部の海産物を交換するように運ぶ高瀬舟が行き交っていました。しかし、時代が下って輸送の近代化が求められるようになると、高瀬舟は時代遅れの乗り物となり、加古川に沿って鉄道が整備されると姿を消していきました。
この時に整備されたのが播州鉄道で、今のJR加古川線です。高砂線は播州鉄道の支線として大正2(1913)年の12月に加古川町駅(現在の加古川駅)~高砂口駅(尾上の松駅の西側の加古川左岸にあった駅)が開業しました。ちなみに、加古川線の本線となる播州鉄道の加古川町駅~国包駅(現在の厄神駅)が開業したのは大正2(1913)年の4月で、高砂線は加古川線とほぼ同時に開業したようなものです。加古川流域の物流の中での高砂の重要性を感じさせますね。

遊歩道

駐輪場が途切れると、廃線跡は遊歩道となって山陽電車の線路に沿って続いていきます。 厳しい日差しが照りつけるので、このちょっとした木陰が嬉しいですね。

加古川の土手

東へ歩いて行くと遊歩道は唐突に途切れ、目の前には青々とした加古川の流れが広がります。 高砂線は鉄橋で加古川を渡っていたのですが、廃線後に撤去されてしまいました。
それにしても、今でもこの加古川に橋を架けるとなると大きな工事になりそうで、大正時代にこの区間を開業させた播州鉄道にとっては相当な難工事区間であったでしょう。加古川の舟運で相当稼いだ人か何かが出資人にいて、資金的な余裕があったのでしょうか。

山陽電車加古川橋梁

ちょうど、すぐそばを走る山陽電車の橋梁に直通特急がやってきました。古い鉄橋と新しい阪神車両とのコントラストがなかなか面白い感じです。ただ、せっかくなので、山陽車両が来るのを待ちたいところ…ですが、あまりの暑さに耐えかねて写真は断念し、電車で加古川を渡ることにしました。
次回では、加古川の東側の廃線跡を歩いてみたいと思います。

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