せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

明智光秀ゆかりの地 ~勝竜寺城をたずねて

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こんにちは、玄蕃允です。

今回は山陽電車から阪急電車に乗り継ぎ、阪急京都線のお城めぐりということで勝竜寺城に行ってきました。

場所は阪急京都線長岡天神駅からJRを超えて、徒歩で20分くらいでしょうか。

勝竜寺城公園


現在は公園となっていますが、堀や城壁、城門などが再現されており、非常にきれいな日本庭園となっています。

公園内


勝竜寺城ですが、本能寺の変を起こした明智光秀が中国大返しにより引き返してきた羽柴秀吉との山崎の戦いで敗れ、この城に入城します。さらに追撃にあった光秀は自身の居城である坂本城に落ち延びようとしますが、道中で落命します。その一日後に勝竜寺城も落城しました。

光秀が逃げ出した北門跡


もともとは1339年(歴応2年)に細川頼春が築城したといわれています。戦国時代には三好三人衆の属城でしたが、織田信長が足利義昭をたてて上洛する際に落城させます。その後、信長は細川藤孝に勝竜寺城を与え、細川藤孝がより堅固な城に改修しました。

堀と外観


細川忠興とガラシャの銅像


また勝竜寺城は明智光秀の娘である玉(ガラシャ)が細川忠興に嫁いだ城でもあります。勝竜寺城の前の通りはガラシャ通りと名付けられています。ちなみに秋には長岡京ガラシャ祭りと呼ばれる祭りがあるそうです。

建物の2階には無料の展示室もあり、出土品などが並べられ、勝竜寺城の歴史を学べます。



大河ドラマの「軍師官兵衛」も本能寺の変が近づいてきたと思いますが、ぜひ明智光秀ゆかりの地であり、黒田官兵衛が攻略した勝竜寺城に足を運んでみてはいかがでしょうか。

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