せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

城下町・尼崎を歩く(前編)

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風薫る季節となりましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

阪神尼崎駅前

今回のスタートは阪神電車の尼崎駅
駅を出て東に向かうと早速気になる建物が姿を現しました。

レンガ造りの旧変電所

駅から橋を渡った先にあるのは明治38(1905)年、阪神電気鉄道が開業に際して設けた変電所。レンガ造りの美しい建物です。
現在は資材倉庫として使われていて、原則非公開なのですが、2013年には写真展が開かれたことがありました。

庄下川の流れ

レンガ倉庫の南側には気になる石垣が…。
こちらは尼崎城の跡に設けられた尼崎城址公園です。
橋が架かるのは庄下川(しょうげがわ)という川。この川はかつて尼崎城の堀として利用されていました。

尼崎城址公園

庄下川を渡ると尼崎城の石垣がそびえます。
尼崎の城の始まりは細川高国の手によって永正16(1519)年から築城が始まった「大物城」と言われます。大物城は現在の阪神電車尼崎車庫付近にあったとされ、別名「尼崎城」と呼ばれるのですが、後に築城された尼崎城とは別の城とされています。
大物城を築城した細川高国は享禄4(1531)年に起こった「大物崩れ」という合戦で赤松氏に敗れるのですが、その後の大物城の城主についてはどうもはっきりしていません。
荒木村重が織田信長に謀反を起こしたことに端を発する天正6(1578)年の「有岡城の戦い」では村重の弟の村次が大物城に詰め、信長軍を迎え撃ちました。
この戦いの末期には当の村重が籠城する有岡城を脱出してこの大物城に逃れ、さらに、花隈城(詳しくはこちら)を経て毛利方へと逃れていきます。その際、有岡城に幽閉されていた黒田官兵衛は救出されるのですが、一方で、村重の妻子や家臣の家族は見せしめのために尼崎や京都で信長軍に処刑されました。

尼崎城の石垣

現在に残る尼崎城は元和3(1617)年に戸田氏鉄が築城したものです。大物城とは別の城であるとの説が有力とされているのですが、尼崎城が大物城の跡地に築かれたという説もあるようで、詳しことははっきりしていないようです。
戦国時代には悲惨な戦いの舞台になった尼崎ですが、近世に入ってからは尼崎藩の政治の中心として阪神間では珍しい城下町として栄えることになりました。
城には戸田氏の後に青山氏が入り、その後は桜井松平家が幕末まで代々藩主を務めます。

現在の尼崎城址公園は一部が図書館になっている他は仮囲いで囲まれていて中に入ることはできません。ちょっぴり残念ですが、先を急ぐこととしました。
次回、引き続き、城下町・尼崎を歩いてみたいと思います。

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