せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

官兵衛の妻・光姫の故郷 志方を歩いて(後編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に引き続き、黒田官兵衛の妻・光姫(てるひめ)が生まれた加古川市志方町を歩いてみたいと思います。

田んぼの中を歩く

観音寺
からは歩いてみることにしました。
ひたすら田んぼが広がり、雪まで降り出して何だか辛くなってきましたが、これしきで挫けるわけにはいきません。

官兵衛の時代、武士は側室を持つのが一般的でした。しかし、キリシタンであった官兵衛は側室を持たず、ここ志方で生まれた光姫を唯一の妻とし、愛したとされています。
前回紹介しましたが、後に志方城は織田軍の攻撃を受けて落城してしまいます。当時、織田方についていた官兵衛は攻撃自体には参加していないのですが、妻の実家と敵対したことになります。

ただし、妻との関係があったせいか、官兵衛は櫛橋氏の命乞いをしていたようで、この攻撃の際に助けたのちに一族を家臣に迎えました(諸説あるようで、現在放送中の大河ドラマでは櫛橋左京進が官兵衛のことをあまりよく思っていないように描かれているので、別説を採用するのかもしれません)。

火の見櫓

光姫には全然関係ありませんが、集落の中に火の見櫓を見つけました。
個人的な話になりますが、備前福岡で趣のある火の見櫓を見かけて(詳しくはこちら)から何だか最近火の見櫓萌えです。思わず写真に収めることに。

長楽寺

観音寺から30分程度歩いて志方町の外れにある長楽寺にたどり着きました。
こちらの寺院は和銅6(716)年の建立というかなり古い寺院です。

衝撃的な光景

本堂へ向かうと、目の前に広がるのは土砂に埋まった沢のような…。
実は、長楽寺の本堂や阿弥陀堂などの堂宇は平成23(2011)年、台風12号の豪雨によって発生した土砂崩れで全壊してしまいました。
何とも衝撃的な光景ですが、現在、復興に取り組んでいる最中とのこと。

この長楽寺は先述のように非常に古い歴史を持っていましたが、前回紹介した三木合戦の際に織田軍の攻撃を受け、創建当時の建物は失われてしまいました。 しかし、当時の住職が鐘を山の裏の池に沈め、本尊を抱いて逃れたために兵火を免れたそうです。
戦国の世を生き延びた寺院の早期の復興を願うばかりです。

境内からの景色

高台にある境内から眺めると志方町の集落が広がり、彼方には播磨臨海工業地域のプラント、そのさらに向こうには播磨灘と淡路島の島影が望めます。
播磨らしい景色を眺めて少しホッとしてから、バスの時間を気にしつつ光姫の故郷・志方を後にすることとしました。

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A:加古川駅
B:観音寺
C:火の見櫓
D:長楽寺


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