官兵衛の初陣の地である青山古戦場跡を訪ねてきました。
山陽姫路駅から神姫バスの38か39系統龍野行に乗って、「青山坂下」という停留場で降ります。特に案内もないので分かりづらいと思いますが、停留所から歩いてすぐです。
松本ガスさんの看板の前の細い路地を進みます。
官兵衛の初陣である青山・土器山の戦いについてですが、黒田氏と龍野城主の赤松政秀との壮絶な戦いになります。
そもそもの発端は赤松家の内部争いになります。
赤松家は書写山の北方の置塩城が宗家になります。宗家の義祐は父・晴政と共同で政務を行っていましたが、備前の浦上家を後ろ盾に父・晴政を追放し、赤松家の家督を相続しました。この晴政を龍野の赤松政秀が匿います。
これにより赤松宗家と龍野の赤松家は対立します。
龍野の赤松政秀は勢力を広げ、京都の将軍・足利義昭とも結びつきを強めようとしますが、これを危惧した宗家の赤松義祐は備前の浦上家と御着の小寺家に龍野を攻撃させようと企図します。
一方、政秀は足利義昭を通じて織田家の援軍と三木の別所家の援軍を得ます。
さらに義祐側の備前・浦上家では家臣の宇喜多直家の謀反により、撤退を強いられることになりました。
龍野の赤松家が有利になっていく中、赤松政秀は義祐側の黒田家が守る姫路へ侵攻します。こうして青山・土器山の戦いが始まります。
青山古戦場の絵図
現地には青山古戦場の碑が残っているだけで当時の面影を残すものは何もありません。
黒田官兵衛古戦場碑
目の前には青山ゴルフクラブが広がります。そして、ゴルフ場の敷地内に大きな池が見えます。
千石池
「戦国池」とも呼ばれ、青山の戦いでの戦死者が多く沈んでいると言われているそうです。そう言われると不気味な感じがしてきます…
圧倒的に劣勢な黒田軍ですが、兵を伏せて、数に勝る赤松軍を追い払いました。
碑のそばにはフジの木とメグスリの木が植えられていました。
フジは官兵衛が有岡城に幽閉されていたころに、フジの花を見て励まされたそうです。黒田家の家紋にもなっています。
メグスリの木は官兵衛関連のスポットではもはやお馴染みでしょうか。黒田家はメグスリを売って財源となし、その後の繁栄へとつながりました。
一度は赤松軍をこの青山の地で追い払いましたが、再度赤松軍は姫路に攻めてきます。土器山の戦いと呼ばれる戦いですが、長くなりましたので次回に紹介したいと思います。
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A:山陽姫路駅
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