楽しいむ〜さん一家

【9月20日はバスの日】山陽バス至宝の存在だった4406号【キュービックなのに旧車体】

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9月20日は「バスの日」。何か面白い題材はないものかと資料を漁っていましたが、見つけました!かつてこんな大変珍しい車両が山陽バスにいました。

その名は4406号。まだ車掌乗務だった1系統で使用されていた車両です。当時の1系統は現在のような中型車ではなく、大型ショート車(車体断面は大型車と同じですが、中型車と同じ長さのバス)が投入されていました。この4406号、型式はいすゞP-LT312J(川崎車体 1984年式)。詳しい方でしたらよくご存知ですが、下回りはキュービックなんだけれども、旧型のモノコックボディを載せた極めて珍しい車両だったのです。(1996年 垂水営業所) 
こちらが本来のいすゞP-LT312J(全但バス)。山陽バス4406号と同型式ですがキュービック車体のため、とても同じには見えません。ちなみに山陽バスの大型ショート車ではP-車(昭和58年排ガス規制車)は4406号1両のみだったため、ご参考までに全但バスにご登場願いました。関西ではこのクラスの車両は全但バスのほか、奈良交通にも多く見られました。(2007.5.20 八鹿駅前)
正面から見ると大型車と区別は付かず、1996年当時在籍していたCQAやCJAと同じ顔をしています。ちなみに4406号、登場時は白と緑に窓回りがクリームの旧塗装をまとっていました。(1996年 垂水営業所)
4406号の後ろ姿。大型ショート車でこのクラスと言えば、本来ECMやEDMといった型式になりますが、その場合はこの角度から見て最後尾の側窓下に通気口(網)が付いていまして(上写真:自家用車廃車体)、4406号はこの網がない!というのが、キュービックバスのシャーシを使っている「証」だったりします。こういうことばかり言っているのが「バスマニア」なんですよ~。コワいですね~。
狭い道をくねくね走っていた当時の山陽バスは、中型バスではとても多くのお客さまをさばききれなかったようで、大昔から伝統的に大型ショート車を導入していました。この写真は当時の垂水駅東側高架下で転回していた頃の山陽バス1系統4208号。いすゞU-LT332J(1992年式)で、U-車(平成元年排ガス規制車)となり車体もキュービックになっていますが、1系統専用の大型ショート車です。(1996年 垂水駅)

ちなみに4406号のようなキュービックの下回りを持つ旧車体の車両は、西日本では山陽バスにいた1両だけで、東日本では京浜急行電鉄にそこそこ在籍していましたが、自家用を入れても全国で50~60台程度しか存在していなかったのではないかと言われています。今ほどバスマニアが存在していなかった当時でも、非常に珍しいので譲ってほしいという申し出があったくらいで、現在だと多くのファンが撮影に来ていたのではないかと思われる車両でした。1997年のワンマン化までには姿を消しています。その後は残念ながらスクラップになったそうです・・・。

【山陽バス】発見!最後の前後扉車【いすゞKC-LV280L】

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ある日のむ~パパ、とある山中をドライブしていたところ、突然前方に・・・。

あれ?これは山陽バスではないでしょうか。もちろん山陽バスのカラーがいすゞキュービックバスのカタログカラーだということはよく知られた事実ですが、この車両の時代はすでにメーカー標準色自体が変わっていますので、わざわざ山陽バスと同じ色に塗る必然性がありません。つまり、これは元山陽バスだと考えるのが自然でしょう。正面の山陽社章が入る部分には純正の「ISUZU」プレートが付いています。自家用バスとして登録されていましたので、詳しい撮影場所は伏せておきます。
(撮影:2023.8.11)
後ろから。自家用のためナンバーは伏せておきます。屋根の通風器(ラインデリア)配置やマーカーランプはいかにも山陽バスらしい仕様。型式はいすゞKC-LV280Lです。1995年から2000年にかけて導入されましたが、写真のような前後扉車は1999年が最後となります。実は毎年仕様が変化したので、この写真が登場時の仕様を保っているのであれば、ある程度元の年式が推定可能です。
(撮影:2023.8.11)

そのポイントは後面に付く「乗降中」ランプ。これはオージ製ですね。

こちら、1999年式の1989号。「乗降中」表示灯は1998年式のワンステップバス(1885・1886・2813・2814・3844・3845)以降に投入された車両へ設置されました。当初はこの写真のような縦長で厚みのあるゴールドキング製?が採用されていました。(1999年 学園都市駅)

しかしこの表示灯、内部にものすごくホコリがたまるので、のち密閉式のオージ製に変更されます。ややこしい話なのですが1998年式観光マスクの1887・1888号に試験採用されたあと、1999年式のうち1993~1995号、山陽バス最後の前後扉車で本採用されました。今回発見した自家用バスはこの3両のうちいずれかと思われます。写真は1994号納車直後の貴重な姿。(1999年12月 垂水営業所)
山陽バス最後の前後扉車1994号納車直後の姿。当時は方向幕を装備していました。前後に方向幕が設置されているのは、当時名谷線に前乗り先払い路線があったためで、どちらの路線にも使用できるようになっていました。「入口」「出口」の表示もプレート式で、裏返すと入口と出口が入れ替わります。また、この3両から初めて側面に山陽電車のシンボルマーク(旧デザイン)が付きました。
(1999年12月 垂水営業所)

この後、方向幕はLED表示に変更されます。シンボルマーク変更後、1995号の姿。すでに入口は後ろに統一されていますが、「入口」「出口」表示はプレート式のままですね。いつの間にか広告枠が取り外されています。(2007.12.29 垂水営業所)

1993号。山陽バス発足後の姿。「入口」「出口」プレートが外され、ステッカーに変わっています。関西人には見慣れた前後扉のバス。山陽バスに投入されたのはこの3両が最後となりました。
(2011.6.19 学園都市駅)

今回発見した元山陽バスは、最後の前後扉車3両のうちの1両と思われます。山陽バスの車両は引退後第2の職場を求めて各地へ散っていますので、旅先で機会があれば会いに行きたいと思います。

【山陽バス】高架下にあった垂水駅ターミナル(その2)

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垂水駅高架下にあったバスターミナル。好評だったので続編として内部風景をご紹介します。懐かしいと思われる方も多いことでしょう。撮影は新ターミナル移転直前の2002(平成14)年1月です。
(その1はこちら

バスのりば側からの写真。2系統清水が丘行きにお客さまが乗車中。タクシーはその外側に並んでいます。
バス着車位置ごとにのりばが設定されていました。1系統が先頭で最も西寄りにあり、2・3系統が2番目、4・5系統が3番目でした。順番にベンチに座って並ぶようになっていましたが、この写真の少し前まで仕切らた柵に沿って並ぶようになっており、ベンチはありませんでした。
2・3系統のりば部分にあった案内所。回数券自動販売機が設置されており係員もいました。
乗車扱い中の3系統ゴルフ場行き。1997年のワンマン化前は車掌が乗務しており、都市部の車掌乗務は珍しいということで話題になっていました。写真の3847号はワンマン化後に投入された前中扉車です。
4・5系統のりば。柵に立ったまま並んでいた時代が長かったのですが、ベンチが同じ配置で並んでいます。すでに「お知らせ」としてターミナルの場所が変更される旨の立看板が設置されています。
壁に埋め込まれた電照式の案内板。5系統はかなり後から追加されたため、上から貼るステッカーで対応しています。
垂水駅のバスのりばで多くの方が思い出されるのが「山陽そば」。1系統のりばの後ろにありました。お出汁の匂いに引き寄せられ、バス待ちの間にちょっと一杯、食べられた方は多いのではないでしょうか。お隣はケンタッキーがお店を出していました。夜行の高速バスも発着しており、東京(立川)の表記も見えますね。左側の白い空間はすでに廃止となっていた熊本行きの表記を消した跡です。

懐かしい高架下のバスのりば。遠い記憶のかなたになってしまいましたが、まだまだ覚えられている方も多いのではないかと思います。

【山陽バス】高架下にあった垂水駅ターミナル(その1)

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山陽バスといえば、山陽電車垂水駅の高架下から出発していくイメージが強かったむ~パパ。先日世間話をしていて、周囲は「そんなん知らん」という人間が大多数だという事実を知らされ大きなショックを受けています。思えば今の垂水駅西口ターミナル開設が2002(平成14年)2月だといいますから、21年も前のお話。知らない人がいても不思議ではありません。いや~、そんなものなのですね~。

現在の垂水駅北側。タクシーが並ぶおなじみの風景ですが、写真の奥、すこし高架下に凹んだ部分があるのがお分かりでしょうか。現在はタクシーが2列に並んでいる場所ですが、ここに垂水駅バスターミナルがありました。
2002(平成14)年1月。現在地に移設直前の山陽バス垂水駅ターミナル。現在と比較すると山陽電車のホームにエレベーターが設置されたり東口(当時はありませんでした。)が開設されたりした関係で、元のターミナルが一部埋められているのが分かります。当時は前から3つのりばがあり、先頭から1系統、2・3系統、4・5系統となっていました。
垂水駅へ到着した4系統のバス。路面表記でも分かりますが、道路上で停車しお客さまを歩道へ降ろしていました。現在でも道路が狭く感じますが、写真のようにバスが停車すると片側通行となってしまいます。
このターミナルは1967(昭和42)年、山陽垂水駅(当時は電鉄垂水駅)の高架化で「たるせん」と共に誕生しました。写真は開業当時のもの。停車するのはいすゞBX型ボンネットバス。霞ヶ丘へ回るのは歴史ある伝統の路線です。(写真提供:山陽電気鉄道OB)
高架下のターミナルには案内所のほか、「山陽そば」も店を構えていました。
センターラインを越えのりばへ向かう1系統のバス。1997年のワンマン化までは霞ヶ丘へ回る1系統は車体幅の広い「大型ショート」と呼ばれる車両を使用していましたが、ワンマン化以降は中型車を使用しています。
バスターミナルを東側から。2または3系統のバスと4系統のバスが停車しています。山陽タクシーは今もおなじみのツートンカラー。白いタクシーは今は無き垂水タクシーの車両です。懐かしいキュービックバスが多数活躍していますね。タクシーも現在と外観は同じクラウン・コンフォートですが、写真の頃は3Yエンジン搭載のYXS10型で、現在のTSS10型より非力でした。
現在の山陽バスターミナル跡。バスやタクシーに一般車が入り乱れるカオスの様相を呈していた垂水駅ですが、現在は少し寂しい空間になっています。

思えばバス・タクシーとも当時の車両は全て入れ替わり、時代が変わったことを実感します。

【山陽バス】垂水鈴木橋のりばは今

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気が付けばずいぶん昔のお話になってしまいましたが、山陽バスには2000(平成12)年4月まで「垂水鈴木橋のりば」というターミナルがありました。

2000(平成12)年。垂水鈴木橋廃止直前の写真。中央に流れる福田川を北側から南側に向けて撮ったものです。垂水区役所の入るレバンテ東館から東に出て福田川沿いを少し北に行ったところにありました。
本当にささやかなターミナルで、ご覧のように大型バスが2台入るだけ。トラックと社用車が止めてあるところにもう1台入るかな(実際ここには10系統上千鳥行きのバスが入っていました。)というスペースです。
のりばは待合スペースと詰所があり、回数券自動販売機がありました。つつじが丘行き23系統と上千鳥行き10系統ののりばとして使われており、つつじが丘から来る平日朝ラッシュ時のみ運行の22系統到着にも使われていました。

まだ垂水東口ターミナルは無く、現在のレバンテ北側バス降車スペースが11・12・13系統の乗降両用として使用されていました。朝ラッシュ時はそれこそ数分間隔でバスが発着するので、同じく数分間隔で垂水鈴木橋を発着するバスを垂水東口に統合するのは不可能だったのです。

乗車扱い中の10系統。前の扉から乗車する乗客の姿が写っています。当時垂水駅周辺を発着する10~13・15・22・23系統のバスは前の扉から乗車して先に運賃を支払い、後ろの扉から降車する「前乗り・前払い」方式を採用していました。「前払い」と「後払い」にはそれぞれメリット・デメリットがありますが、山陽バスが垂水線・名谷線で「前払い」方式を採用したのは、メインターミナルの垂水駅周辺(垂水駅・垂水東口・垂水鈴木橋)が狭く長時間バスを止められないため、運賃を先に収受して到着したターミナルで前後の扉を開放し、降車時間の短縮を図るためでした。実際2000(平成12)年4月7日に現垂水東口ターミナルが完成してからは、ここを発着するバスは「後乗り・後払い」方式に変更されています。
到着した23系統のバスから降車する乗客。前後の扉を開放し一気に降ろすため時間がかかりません。
降車して垂水駅方向へ歩く乗客。今から思えば「駅前」というには少し遠いものでした。
川原橋を経由して垂水鈴木橋へ向かう回送バス。現在はバスが通らないルートですが、阪神大震災前までは11・12・13系統も「増田屋の前」と言われた旧垂水東口を出て、この橋を渡っていました。その増田屋もつい先ごろ取り壊されてしまいました。

垂水鈴木橋を出発し北へ向かう23系統のバス。む~パパの記憶が正しければ、2000年と言えば貸切・高速を除く黄色いバスの全車両が、このいすゞキュービックバスに統一されていた時期だったかと思います。

さて、この垂水鈴木橋ターミナルですが、元々はもっと広い敷地で山陽バスが車庫を構えていました。車庫が現在の清水が丘に移った後は使われていなかったようですが、23系統の開設に伴いターミナルとして復活したものだそうです。
現在の垂水鈴木橋ターミナル跡地。セブンイレブンが建っています。
今はちょっと想像しにくいですが、ここから10・23系統のバスが出発していました。23系統と言えばかつてはその本数・利用者数とも日本でもトップレベルだったはず。そんな山陽バスどころか関西を代表するような路線バスがこんなところから発着していたとは・・・。

20年以上前の写真を引っ張り出してきました。利用されていた方には懐かしい風景かと思います。

【札幌】北の大地に生きていた山陽バス

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突然ですがむ~パパ、急に思い立って北海道に行ってきました。と言いつつすでに2か月前の出来事なのですが・・・。

札幌駅。少し歩くと大通り公園なんかがあります。ここに山陽バスからの移籍車両が走っているかも知れないということで(実際は山陽バスのために札幌に行ったわけではないので・・・)、少し北海道中央バスのターミナルそばで立ちんぼしていました。

が・・・。


次々に来るのは新しいバスばかり。元山陽バスどころかキュービックバスさえ1台も発見出来ませんでした。北海道に移ったのも8年前。大曲営業所にいるとのことですが、そこまで足を運ぶ時間的余裕はなく「もう廃車になっているよな~。」と自分であきらめて帰って来ました。

しか~し。その1か月後。北海道に遊びに行っていた後輩から・・・。

札幌のホテルの前に止まっていました。これ山陽バスですか?と送られてきた写真。

山陽バスです!


あちこち錆びてお疲れのようですが、これは元山陽バスの車両です。北の大地に移り8年。過酷な環境の中でよくぞ生きていたものです。情報によればこの車両は山陽バス時代は3846号だったとのこと。1998年式いすゞKC-LV280L型です。

山陽バス時代の3846号。正面の社章を挟む黒帯が現在もそのまま付いているのが分かります。(2005.8.23 垂水東口)

ラッピング広告付きの姿も撮影していました。(2007.3.18 垂水駅)

もうそれほど長くは走っていないと思われますが、また行く機会があれば会ってみたいと思うむ~パパでありました。

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【キュービックバス】高校生に人気のあった「フカフカバス」

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さよならキュービック」と題してシリーズ化するつもりだった記事ですが、「その1」で後が続かずご無沙汰している間に本当に「さよなら」してしまいました・・・。各車をマニアックに解説したいところなのですが、今回は置いておいて少し面白い車両をご紹介します。

1536号 1985年式いすゞP-LV218L(川重車体)今となっては懐かしい、最初期のキュービックです。これは何の変哲もないノーマルなキュービック。

今回ご紹介するのはこの車両。

1640号 1986年式いすゞP-LV218L(川重車体)
上の1536号との違いは分かりますか?車体裾の形状が違いますね。普通のキュービックは中央に出っ張り(ここにバッテリーを積んでいました)がありますが、1640号は後ろに寄っています。なぜ寄っているかというと、この車両はここにスペアタイヤを吊っていたのです。

これがキュービックに時々存在した「流用車」というものです。当時乗合バスを貸切車として使用する(短距離の遠足や送迎など、観光タイプのバスを使用するまでもない貸切需要に応える必要がある)ため、一般登録のまま一部を貸切で使用できるよう仕様変更した車両が存在しました。これらのバスは純然たる乗合バスの外観をしていましたが、車内はシートが違っていたり、シートベルトが付いていたり、マイクジャックが壁に付いていたりと、乗合バスとは一味違っていました。

これは当時山陽バスのキュービック標準の車内です。俗にいう「パイプ椅子」が並んでいます。(1851号 1988年式いすゞP-LV218L)

これが「流用車」1640号の車内。少し椅子が豪華です。2人掛けは独立していません。椅子から垂れているのはシートベルトです。同時に入った1641号も同じ流用車でしたが、なぜかこの2両、天井R部分の広告枠の広告支持方式が違っており、1640号は金具が無いタイプでしたが、1641号は他の多くの車両と同じ金具が付いていました。

この1640号と1641号、シートが柔らかく座り心地が良かったため当時通学していた高校生の間でもよく知られており、「フカフカシート」と呼ばれていたとか。

こちらも流用車。1989年式の1958号で、同時に2957号も同じ流用車として登場しました。内装は1640・1641号と同じでしたが、む~パパが思うにこの2両はそれほど「フカフカ」していなかったように記憶しています。(1640・1641号は古くなってシートがヘタっていただけかも・・・。)
※写真は貸切として使用される姿を再現したものです。

キュービックバスの流用車は、その後1678号と2607号にも設定されましたが、すでに一般車もパイプ椅子ではなかったこともあり、シートベルトが付いているだけで、全く同じシートでした。

すでにこれらの車両もずいぶん前に姿を消しています。備忘録的に書き起こしてみました。クリックにもご協力を!
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宇部市で活躍する元山陽バス(その2)

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山口県宇部市で活躍する元山陽バスの車両をこちらでご紹介しましたが、宇部市にはこのほかにも元山陽バスの車両がいます。今回はそのうち3両の撮影に成功しました。前回ご紹介できなかった2両をどうぞ。(撮影協力:宇部市交通局)

山口200か481 すでに第2の職場でも廃車となっていました。
これは元山陽バス4209号。いすゞU-LT332J(車体:IKコーチ)1992年式

山陽バス時代の姿です。

山陽バス時代。後ろから。登場時はいわゆる「バス協ランプ」と呼ばれるテールランプが付いていました。今は無き垂水鈴木橋ターミナルで。

4209号は中間改装(外装や内装の整備・塗り直し)を受けた際、テールランプが小糸製の大型のものに交換されました。

もう1両。

山口200か721
元山陽バス4511号 いすゞKC-LT333J(車体:いすゞバス製造)1995年式

前回ご紹介した車両同様、ツーマン時代の車掌台が残っていますが、座席のモケットは交換されておりイメージは変わっています。

山陽バス時代の4511号。※写真は車庫でツーマン時代を再現したものです。

4511号の後ろ姿。KC代のテールランプは当初より写真の大型のものでした。

この他、宇部市営には元山陽バス1997年式の中型車がいるはずなのですが、今回の取材では撮影することが出来ませんでした。これは宿題ということで・・・。

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【キュービック】宇部市で活躍する元山陽バス

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全国で第二の人生を歩む山陽バス。む~パパ、山口県宇部市で活躍する元山陽バスの車両を取材しました。

やって来たのは宇部市バス。どこを走っているのかさっぱり分からなかったので、手っ取り早く車庫を訪れました。(撮影協力:宇部市交通局)

山口200か493 いすゞU-LT332J(IKコーチ)1994年式 元山陽バス4410号です。

同車を後ろから。LTは大型ショートと呼ばれるクラスのバスで、大型や中型に比べると全国的に見て少数派。京浜急行バスや奈良交通など好んで導入する会社はあります。

車内。山陽バス時代のままです。この車両は車掌乗務時代の1系統(霞ヶ丘循環)用として登場したもので、1997年の全面ワンマン化後は車掌台を閉鎖し10系統(上千鳥線)用となりました。この閉鎖された車掌台が現在でも残っています。ツーマン時代の山陽バスを知るむ~パパ、非常に懐かしく感じられました。

山陽バス時代の4410号。山陽垂水駅高架下から出発していた頃。もちろん車掌さんが乗っているツーマンバスです。

上千鳥停留所で。全面ワンマン化後は10系統専用車として活躍しました。

遠い地へ離れましたが、長く活躍してほしいものですね。クリックにもご協力を!
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鹿児島で活躍する元山陽バス

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さて、このたび新幹線に揺られてむ~パパが降り立ったのは、

ど~んと鹿児島中央駅!む~パパ的には「西鹿児島駅」っていうほうがピンと来るのですが、新山口駅とかもいまだに「小郡」って感じがする昭和のオッサンです。

鹿児島までやって来たのは「山陽バス」に会うためです。(ウソです。仕事のついでです。)地元の鹿児島交通に山陽バスのOBが入っているので、時間を作って駅前で狙ってみました。

こちら鹿児島交通のいすゞキュービック。元山陽バスと言いたいところですが、これは元神戸市バス。山陽バスとは屋根の通風器関係や窓など仕様があちこち異なります。

おっ!またキュービック!ですがこちらも元神戸市バス。仕様が一部簡素化された最終期導入分(2000年式くらい?)と思われます。

その後も・・・、

国際興業から来たキュービックバスとか、

西武バスから来た日産のノンステップバスとか・・・、
元大阪市バスや元京阪バスや何やかんやと次々来る中、

立ちんぼ2時間・・・。

とうとうやって来ました、元山陽バス!
「おっ!来た来た。」と思ったらむ~パパ側の信号が「赤」。バスは乗り場で乗客を乗せ、そのまま青信号をスタート!
「うわっ!撮れない。」

おまけにトラックが右折待ちしていてカブりそう。とにかくシャッターだけは切りましたが・・・。屋根のラインデリア位置が山陽バスの証。特注の大型後退灯は名谷線仕様の特徴ですし、写真をよく見ると給油口カバーが下半分しか付いていない中期型みたいですので、山陽バス時代は2691~2696のうちのどれかと推定できます。

山陽バス2692号。元々はこの姿でした。

おまけ。


元神戸市バスの日野車。恐らく垂水営業所に所属していた車両です。ということは、学園都市駅や名谷駅に出入りしていた山陽バスと神戸市バスの車両が、鹿児島の地でまた一緒に働いていることになりますね!

それにしても、結局元山陽バスは1台しか見ることが出来ず、やや消化不良でした。

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