楽しいむ〜さん一家

【地上時代】垂水駅の今むかし

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山陽垂水は少しレトロな高架駅。カーブしたホームや上部がつながった屋根に何とも言えない「私鉄らしさ」を感じるのはむ~パパだけではないでしょう。
いつも多くの人でにぎわっている活気のある駅で、南側に隣接するJR垂水駅と合わせ神戸市西部の拠点駅と位置付けられます。
1965(昭和40)年頃と思われる垂水駅舎。1967(昭和42)年に高架化されますが、地上時代は須磨駅、明石駅などと同じ、追い越し設備を持つ2面4線の規模でした。(写真:山陽電鉄OB)

上写真の右につながるホーム部分。渡線道(構内踏切)で結ばれた上下ホーム。待ち合わせの1番線には2700形普通車。1964(昭和39)年製の2702-2703。2番線の特急は2000系ロマンスカー。前面窓がHゴム化された後の姿です。浜側(南側)の国鉄線はすでに高架化されています。(写真:山陽電鉄OB)

現在の垂水駅。地上時代と比較すると、山陽タクシー車両の背後にある古い茶色の建物が地上駅時代から存在していることが分かります。(2022.7.1撮影)
垂水駅に到着した250形(256-257)。張り上げ屋根と長い車体が整った印象の250形最終編成。高架上の国鉄電車は通勤車モハ72で、番号はモハ72578と読めます。(写真:山陽電鉄OB)
垂水駅付近。どうやら国鉄も上り線だけが高架化されていたようです。高槻行きの普通列車。最後尾に連結されているのは比較的原型を保つクハ68。戦前の関西国電を代表する「半流型」の美しい電車です。左には地上線の山陽電車線路が写っています。(写真:山陽電鉄OB)

地上時代の垂水駅。記録がなかなか出て来ないので、もしお持ちの方があれば見せていただければ幸いです。

【移転】歌敷山駅と霞ヶ丘駅

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山陽電車では比較的新しい駅である「霞ヶ丘駅」。1964(昭和39)年に現在地に来るまでは「歌敷山駅」でした。
現在の霞ヶ丘駅正面。元々あった駅舎の前に信号機器室が新設されモダンな雰囲気になっています。

現在の霞ヶ丘駅は、列車の追い越しが可能な「連動駅」となっており、昼間のダイヤでは普通列車が特急列車の通過待ちをするようになっていますが、元々この設備は垂水駅にありました。垂水駅高架化に伴い場所が無かったため隣の歌敷山駅に移ってきたのですが、歌敷山駅にもスペースは無く、現在地に駅を新設する形となりました。
出典:Google昔の航空写真より 現在の霞ヶ丘駅付近。
出典:Google昔の航空写真1961~1963。霞ヶ丘駅は存在せず、歌敷山踏切西方に何とか歌敷山駅が確認できます。
歌敷山駅下りホーム。現在の歌敷山踏切すぐ西側のカーブ上にありました。
(写真所蔵:山陽電気鉄道)
現在の歌敷山踏切付近。ここに駅があったとはちょっと想像できないですが、それ以外は現在とそれほど変わらない雰囲気です。
歌敷山駅上りホーム。2000系2012号が停車中。北側には酒店もあり、それなりに駅前の風景が展開していました。(写真所蔵:山陽電気鉄道)現在の歌敷山駅上りホーム跡。こちらも全く駅の痕跡はありません。ただ、踏切北側には数軒の店舗があり、駅前商店であった頃の面影を辛うじて留めています。

歌敷山駅。鉄道模型のジオラマに出て来るような雰囲気ですね。クリックにもご協力を!
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【禁断の平面交差】山陽長田駅周辺の今昔(その2)

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前回は長田駅の今昔をお届けしましたが、今回はいよいよ禁断の(?)平面交差があった長田交差点をご紹介します。

現在の長田交差点(南西角から北東角を撮影)。東から来た山手幹線がこの交差点の北側で南に90度曲がり、同じく東西をつなぐ中央幹線と直交します。山手幹線には神戸市電が、中央幹線には山陽電車が走り、ここで平面交差していました。山陽電車は神戸高速に姿を変え1968(昭和43)年に地下化、市電は1971(昭和46)年に廃止となりました。
1968(昭和43)年頃の長田交差点。現在の写真と比較すると、左端の4階建ビルは現在も残っているのが分かります。市電との交差部分を通過直後の山陽電車2000系2012号。今も東二見に保存される日本初のアルミカーです。電車の右に見えるトラックはマツダ・ロンパー。電車の左にはトヨタ・初代ハイエース(1967年発売)が見えます。ロンパーの後ろにはいすゞTX型ボンネットトラックの姿もあります。(写真所蔵:山陽電気鉄道)
同じ場所を南北に通過する神戸市電800形。700形で確立された神戸市電スタイルを発展させた大型3扉車で、以後神戸市電の決定版となった車両です。市電の架線電圧は600V、山陽電車は1500Vで、交差部は電気が流れていないデッドセクションでした。車が割り込んだりしてここで市電が停止してしまうと起動することが出来なくなり、乗客が降りて電車を押したという逸話も残っています。市電の前にいる白っぽい車は日産・サニーバン(初代)。すれ違う市電の間に見えるのは日産・セドリックバン(130系・前期型)のようですね。(写真所蔵:山陽電気鉄道)
交差点の反対側、南東角から北西方向を撮影。角地には山陽長田ビルが見えます。
1968(昭和43)年頃の同所。写真中央の村野工業高校の建物は今も変わっていません。市電との交差部に山陽電車3000系兵庫行き特急がやって来ました。写真の3006号は今も同じ3両編成で活躍中です。現在の山陽長田ビルの部分には「神戸市仮設店舗住宅」が建っていますね。電車の隣を通過する40系コロナ。信号待ち?の面白い顔をしたトラックはトヨタ・トヨエース。右端にキャブ部分だけ写っているのはダイハツ・ハイゼットです。左遠方には当時の長田消防署が見えています。(写真所蔵:山陽電気鉄道)

今も残る当時の建物、年代を確定できる当時の車。昔の写真からもいろいろなことが分かります。クリックにもご協力を!
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【地上線】山陽長田駅周辺の今昔(その1)

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現在は阪神神戸高速線の駅となっている高速長田駅。かつてここは山陽電車の地上線時代、長田駅がありました。長田駅から当時の起点、兵庫駅までは道路上を走る併用軌道で「路面電車」だったのです。そもそも軌道として出発した電鉄には当たり前の光景で、元をたどればアメリカの都市間を結ぶ電鉄に普通に見られた姿、そして日本で最初にそれを採り入れたのが阪神電車なのですが、そこらへんの話をしていると長くなってしまうので、今回は長田駅周辺の今と昔を比較してみたいと思います。
そもそも長田駅がどこにあったのかというと、いつもの「Google Map」昔の航空写真によると、村野工業高校の向かい側のようですね。現在は長田警察署の前。すぐ南には神戸市交通局長田車両工場がありました。東洋一の市電と称され、戦前に名車700形ロマンスカーを生み出した名門工場です。のち市バスの整備工場となり、現在は西神南のハイテクパーク内に移転しています。機会があれば別途ご紹介しましょう。(写真:Google Map)
山陽電車の長田駅正面。手前が兵庫方。東向きに改札口がありました。奥に見える塔のある建物は長田消防署で、現在は中央幹線の南側に移転しています。(写真所蔵:山陽電気鉄道)
現在の旧長田駅付近。電車が走っていた痕跡は全くありません。
西側から。現在でもまだまだ地方私鉄で見られるような光景です。電車は820形。日本初のOK台車を履いた830-831の編成です。(写真所蔵:山陽電気鉄道)
上写真よりすこし西側の現在。正面左に村野工業高校が見えます。西代方面から来た山陽電車は、ここで新湊川を渡るとすぐ長田駅に進入していました。
長田駅ホームから西方向。新湊川橋梁が写っています。現在ほどの勾配は無いようですね。電車は2000系ロマンスカー2002号。正面窓はすでにHゴム支持に改造されています。(写真所蔵:山陽電気鉄道)
長田駅ホーム東方向。兵庫行きの200形電車が停車中。流線形スタイルを残しながら正面の傾斜がなくなったタイプですね。道路には何ともクラシカルなプリンスグロリアの姿が見えます。(写真所蔵:山陽電気鉄道)
現在のほぼ同じ位置。風景は一変し、電車が走っていたとは信じられない風景です。

さて、長田駅を出た兵庫行き電車は交差点で神戸市電と平面交差していました。
以下続きます。

1回で収まりませんでした・・・。クリックにもご協力を!
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【地下化】西代駅周辺の地上線路跡をたどる

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前回の続きです。(11/7 写真追加)

阪神淡路大震災まで板宿駅とともに地上にあった西代駅。現在の山陽電車の起点です。1968(昭和43)年の神戸高速鉄道開業以来、ここから地下の高速長田駅に向かっていましたが、それまでは長田駅を経て道路上を兵庫駅へ向かっていました。
地上線跡は道路となっています。写真は板宿側から西代駅方向です。正面に山陽電車を越えていた道路橋が見えます。この先で線路は急カーブで左に曲がり、すぐ西代駅がありました。現在線路と駅は地下にありますが、基本的に地上時代と線路の形は変わっていません。
地上時代の西代駅を出発した3050形アルミカー。山陽電車の駅によく見られる形の橋上駅舎がありました。1988(昭和63)年8月15日。西代駅の西にあるのに「西代東踏切」なのは元々駅がこの地より西側にあったことを物語っています。
かつて西代には山陽電車の車庫がありました。地下化工事のため車庫は東須磨に移転しましたが、車庫移転後も側線が残り新造車の搬入などに使われていました。写真は1968(昭和43)年頃。神戸高速鉄道開通直前、西代駅橋上駅舎から西方向を撮影したもの。兵庫へ向かう3000系特急の姿。中央は旧下りホーム跡で当時は運転指令室として使用されていました。左下隅に地下道入口が写っていますが、現在もこの場所に残っています。(写真所蔵:山陽電気鉄道)
西代駅すぐ西側にあった踏切跡から東方向。中央に地上時代の写真にあった地下道の入口があります。旧線路跡と南側の地盤に段差があります。
この写真は1968(昭和43)年、神戸高速鉄道開業直前、西代駅東方で地下線へ入る3000系と、兵庫駅から地上線をやって来た2000系ステンレスカー2014号の姫路行き特急。(写真所蔵:山陽電気鉄道)
11/7写真追加。同じ場所を同じ角度から。現在では電車が地下に潜っていた場所とはとても思えません。
同じ場所を西方向へ。歩道の左側(南側)の道がここで途切れており、かつて地下へ向かう勾配の横に付いていた道路だということが分かります。
同場所の航空写真(出典:Googleマップ)。兵庫スバル自動車の北側がかつてトンネルの入口があった部分です。

引き続き旧長田駅付近へ向かいます。クリックにもご協力を!
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電鉄兵庫駅の今昔(前編)

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明石駅の「0キロポスト」を見てしまったからには、山陽電車の最初の路線が起点としていた兵庫駅を調査しなければならないでしょう。

というわけで大開駅にやって来ました。なにやら怪しげな案内板が・・・。

ふむふむ、オレンジ色の線は山陽電車の旧線跡のような・・・。

拡大してみました。オレンジ色の線は「西国街道」だそうですが、これこそ山陽電車の前身、兵庫電気軌道の線路跡です。JR兵庫駅前の「兵庫勤労市民センター」は山陽電車の「電鉄兵庫駅」の敷地を利用して作られたもので、ここが山陽電車の起点でした。要するに、兵庫駅を起点として西国街道の上に線路が敷かれていたということです。

兵庫勤労市民センター。昭和な雰囲気の高層住宅が2棟あります。

航空写真(googleマップ)。右下がJR兵庫駅。西国街道が突き当たる兵庫勤労市民センターの敷地が、現在も電鉄兵庫駅の形をそのまま残していることが分かります。

電鉄兵庫駅を出発する3000系の特急。航空写真の「兵庫駅北」交差点の南西角です。ここから西代駅の手前まで路上を走っていました(この写真は山陽電車が広報目的で使用することに限り許可を得た個人撮影のものです。商業目的での使用はできません。)

電鉄兵庫駅の風景。右は2000系ロマンスカー2002号、左には日本初のアルミカーとして名高い2000系2012号の姿も見えます。(この写真は山陽電車が広報目的で使用することに限り許可を得た個人撮影のものです。商業目的での使用はできません。)

兵庫駅を出発した2000系ロマンスカーの特急。2010号は山陽初のステンレスカーで、空気バネ台車も装備した当時では最先端の電車でした。1962(昭和37)年4月。(写真提供:FKさん※この写真は当ブログに掲載する目的で撮影者に許可を得たものです。転載その他商業目的等の使用を禁止します。

上写真の現在。かつて電車が行き来したとは思えません。

(後編へ続く)

かつて市電も乗入れ賑わった兵庫駅の今昔。クリックにもご協力を。
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「市電を愛好した人たちの思い出の鉄道写真展」と5000系リフレッシュ車・和田岬線(前編)

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神戸市営地下鉄海岸線苅藻駅から北へ入った住宅地にある喫茶店「パープレイ」。

ここで、ささやかな展覧会が開かれています。その名も「市電を愛好した人たちの思い出の鉄道写真展」。(ギャラリーではありません。あくまで喫茶店です。)

神戸市電の絵画で有名な松本ゆうじ氏の作品と同好の方々による懐かしい写真が展示されています。

左側。昭和43年頃の阪急三宮駅。惜しくも震災で全壊しましたが、神戸の顔として長年三宮にそびえていたもの。市電は600形。市バスは呉羽車体の三菱車らしいですが・・・。右側も写真にように見えますが絵です。アクリル絵具を使っているとのこと。市電だけでなくバスや自動車も車種が判別できるほど細部まで描かれています。素晴らしい!下にあるのは・・・。

山陽2000系ロマンスカー!神戸高速鉄道開通まで路面を走っていた姿。やはり山陽電車と言えばこのカラーリング。優しい黄色味かかった上半分のクリームと濃紺の下半色。どこにでもありそうで、どこにもない山陽電車だけの独特のカラーリングでした。

古くからのファンによる神戸市電の写真もたくさん。当時とすっかり変わった場所、今も変わらぬ場所など50年前の神戸市内の様子が写真で記録されています。

3月27日まで開かれています(水曜定休)。クリックにもご協力を。
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のせでんレールウェイフェスティバルと三ツ矢サイダー発祥の地

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4月29日「のせでんレールウェイフェスティバル」が開催されたので出動してきました。

能勢電鉄平野駅に隣接する本社・工場が会場です。

会場ではグッズ販売やゲーム、軽食提供など工場公開では定番のメニューの数々が用意されていました。

プラレール会場で走っていた改造車、能勢電鉄1500系。

能勢電鉄1700系。元阪急2000系ですが写真の1754は元2代目2050号で、登場時は2100系2154号だったとか。2両目1734号は元2000号です。

会場では天気が今一つだったのですが、しばらくすると晴れてきたので会場を後にし、線路に沿って北上してみました。

ホームセンターに入る道に何やら看板が。「三ツ矢サイダー発祥の地」とあります。

能勢電鉄線路のそばに、三ツ矢サイダーのマークが付いた建物があります。平安時代から知られた湧き水があり平野温泉郷と呼ばれていたとか。明治期以降の御料工場を経てアサヒ飲料へ。現在この地でサイダーが作られているわけではありませんが、建物の一部は残り、写真の「三ツ矢塔」がシンボル的存在となっています。まだ桜が咲いていますね。
せっかく晴れたので、このあたりで写真を撮る場所を探しました。

未だ残る桜と1700系。1700系は現在置換中。まもなく姿を消すものと思われます。

新緑の能勢電鉄沿線にもお出かけください。クリックにもご協力を!
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鉄道友の会 6000系試乗会・撮影会

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山陽電車19年ぶりの完全新車6000系。4月27日から営業運転を開始していますが、それに先立ち23日に鉄道友の会主催の試乗会・撮影会が開催されました。「鉄道友の会」は旧国鉄が設立した正統派鉄道愛好者団体で、全国組織では我が国唯一の存在。3000系が受賞した「ローレル賞」も、この鉄道友の会からいただいたものです。

さて、まず東二見車庫で日本初のアルミカー2012号の撮影です。

日本のアルミカーの歴史はここから始まりました。栄光の2012号です。

最新の6001号と並びます。技術やデザインの進化が分かります。

会員のみなさんで楽しく車庫撮影。こんな機会でもないと車庫には入れません。

実は6001号、サプライズ出演。会員のみなさんは6000号に乗車して飾磨車庫へ向かいました。

飾磨車庫では復刻顔の3000号が待機。6000号との並びが実現しました。

早速撮影会。盛り上がります。

そこからは編成ごとの単独撮影。

鉄道友の会「ローレル賞」受賞の3000号。

6000号。

6000系も「ローレル賞」受賞できるでしょうか?クリックにもご協力を。
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2000系アルミカーさよなら運転(1990.4.29)

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山中温泉で日本最初を称するアルミカーを見た、というお話をしました。む~パパの個人的旅行と山陽電車を強引にこじつけてしまったわけなんですが、今日は「日本最初のアルミカー」山陽電車2000系2012号現役最後の姿を真面目に紹介します。む~パパ、高校の先輩に誘われて「さよなら運転」に出かけたのは1990(平成2)年4月のこと。昨日のことのような気もしますが、それは24年も前の話。時の経つのは早いものです。

当日の乗車証。さよなら運転はこの日の1回限りではなく、翌日もやっていたと思います。「午前の部」ということは「午後の部」もあったのでしょうか?記憶があやふや、さすが24年の年月。昨日のことのようで、む~パパ、すっかり忘れています。

東須磨駅で出発を待つ2012号。現役車らしい”生きている”感があります。今も当時のままなんですが、残念なことに何となく”もう動きそうもない”雰囲気です。

2012号の屋根です。む~パパ、模型を作るために絶対必要なパンタグラフ周りの配線を撮っていました。なぜ姫路寄りの2013号のほうを撮っていなかったのか不明ですが、当時はデジカメといった便利なものはありません。フィルム代はもちろん、現像代が小遣いを圧迫していた、そんな時代です。む~パパは今のところ近々に模型を作る予定はありませんので、モデラーのみなさん、是非資料にお使いください!赤い高圧配管が山陽電車らしさのポイントです。

姫路駅で。当時はホームの屋根が短かったことが分かります。それにしてもこの2012号、今は完全にネズミ色って感じになっちゃってますが、当時はきちんとアルミカーらしい銀色をしていますね。 
たぶん、乗車した次の日、今度は走行シーンを撮りに行こうと舞子公園まで。まだ明石海峡大橋は無く(この角度では現在も写らないですが)、移情閣は移築されてしまっています。また、2012号先頭部のすぐ後ろに写っている洋館の付いたお屋敷も最近取り壊され、マンションになってしまいました。そう思うとこの風景も随分変わったものです。

それにしても2000系アルミカーは1962(昭和37)年から1990(平成2)年まで28年間の活躍でしたが、3000系アルミカーは1964(昭和39)年から現在まで50年、今なお現役です。そろそろ引退かと思いつつも、いつまでも走っていてもらいたい、そういうのもファンの心情かな、と。

少し懐かしい写真を出してみました。いかがでしたか?クリックにもご協力願います!
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