楽しいむ〜さん一家

【旧線跡】湊川を歩く(前編)

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神戸電鉄の起点、湊川駅。そこはNHK「ブラタモリ」でも紹介された兵庫と神戸の境界線でもありました。今回は少し周辺を歩いてみましょう。

11月28日で95周年を迎えた神戸電鉄湊川駅。1928(昭和3年)開業当時の駅舎が現在もそのまま残っています。神戸高速鉄道開業の1968(昭和43)年以降、電車は地下に新設されたホームを経由して新開地駅へ直通していますが、開業時は写真の地面と同じ高さにホームがある終端駅でした。
この湊川駅の駅舎は湊川公園の下にあります。ここは当時天井川だった旧湊川付替え工事に伴って埋め立てられた土地で、一段高い堤防部分をくり抜いて道路としたのが写真の湊川トンネル。上部が湊川公園というわけです。写真右側に見えるビルは神戸電鉄本社です。
このトンネルは1921(大正10)年に完成したとのこと。山手幹線をまたぐ風景は神戸の人にとってはおなじみですが、なぜここにトンネルがあるのか知らない人も多いことでしょう。
あ、そうそう。湊川駅の西向かいには「人工衛星饅頭」で知られる大吉屋さん。人工衛星というよりはUFOではないかという人もいますが、それはともかく。

「人工衛星饅頭」は今川焼の一種ですが、現在でも100円なのは良心的価格というべきでしょう。なかなかの人気のようで行列が出来ていました。

少々脱線しました。さて駅に戻りましょう。1枚目写真の1階部分。元はここにホームがあり、電車が発着していました。現在もなんとなくターミナルの雰囲気を残しています。
この先の旧線跡トンネル部分は歩行者用通路として利用されています。手が加えられているので線路跡とはイメージしにくい空間ですね。
通路突き当りにあったタイルには「武庫連山海陸古覧」という江戸時代終わりごろの兵庫津付近が描かれた絵がありました。左に突き出たのは和田岬。中央が兵庫津で、よく見ると西代や板宿の集落、左奥には須磨の町と鉢伏山が描かれています。
付近の地下道に描かれた湊川トンネルの絵。山手幹線と新開地方面へ分岐する市電の姿。右側の高い建物は神戸タワー。周辺の緑や湊川公園の階段が堤防らしい形を今より残しているような気がします。
分かりにくい写真ですが壁の向こうは神戸電鉄の線路。鈴蘭台方面から来た電車は一度トンネルを抜け、短いこの切り通し区間を通って地下に入ります。現在はそのまま現湊川駅を経て新開地へ向かっていますが、開業時は少し左寄りに進み、トンネルを出たところで地上駅に顔を出すようになっていました。運転台から見ると今でも旧線跡が残っているのが見えるそうですよ。

付替え工事によりルートの変わった湊川(新湊川)。次回は元々のルート上に開けた商店街を散策します。

【阪急神戸三宮駅】未だに残る戦争の傷跡

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む~パパ、ネットに載っていた記事を確かめに神戸三宮にやって来ました。

新装なった阪急神戸三宮駅ビルと山陽電車6000系。ビルの下部は1936(昭和11)年の阪急神戸線開業時に建設された「神戸駅(のちの阪急三宮駅)ビル」をモチーフにしています。建設当時のビルは阪神大震災で被災し取り壊されましたが、阪急会館という映画館もあり、む~パパ、高校時代に学校行事で映画を見たことがあります。アニメ映画「火垂るの墓」冒頭シーンでも登場しました。
ビルは新しくなりましたが、ホーム部分は建設当時のままで上屋の鉄骨もそのまま残っています。10両編成運転時に南北の壁にあった降車用ホームが取り払われ、線路を移して現在は2面3線のすっきりとした配置となっています。

ここに1945(昭和20)年のアメリカ軍による空襲の痕跡が多く残っているということで、む~パパ、上を見上げてみますと・・・。

鉄骨がぐにゃっと曲がっている箇所がありました。空襲による火災の熱で変形したとのこと。
よく見ると屋根のあちこちに空いた穴を補修した跡が・・・。焼夷弾が直撃し貫通した跡だそうです。
よく見ると穴ぼこや鉄骨の変形は結構たくさんあります。今も昔も多くの人が行き交う神戸三宮駅ですが、頭上には生々しい戦争の傷跡が残っているのですね。
屋根を支える柱もS字に曲がったものがあります。これも駅火災の熱で変形したものだそうです。太い鉄骨が変形する熱の中で人間が耐えられるはずもなく・・・。実際、避難した多くの人々がここでお亡くなりになったとか。

神戸市ホームページにある「写真から見る戦災」によると、No.16に戦災を受けたホーム上屋が写っており、全焼している様が見て取れます。
→ 2度にわたる大空襲で焼けた阪急ビル

こうした戦争遺構は急速に姿を消しつつありますが、身近なところにまだ残っているものですね。平和のありがたさが身に染みます。

【KIITO】税関の次は旧生糸検査所へ【近代建築】

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先日、神戸税関内を見学したむ~パパ、続けて東側に向かい合う旧生糸検査所(現デザイン・クリエイティブセンター神戸「KIITO」)の中へ初めて入ってみました。

「KIITO」東側は旧神戸市立生糸検査所で1927(昭和2)年築。旧館と呼ばれています。後方に角度を変えてつながる建物は生糸検査業務が国に移管された後、1932(昭和7)年に増築された部分で、こちらは新館と呼ばれています。新館の角度が変わっているのは、神戸臨港線の線路がちょうどここを通っていたからです。現在は日本で一番短い国道として有名な174号線に面しています。
重厚な石造りの正面玄関が魅力的です。
建物に入ると左右は階段となっています。曲線を多用した意匠が、いかにも近代建築らしい雰囲気を醸し出しています。
階段部分を側面から見ると、階段そのものがうまくデザイン処理されているのが分かります。石材を多用し贅沢な仕上がり。
上の階はさすがにデザインがシンプルになりますが、曲がりくねった手すりが魅力的です。
大量の生糸を持ち込む必要性からエレベーターは当時からあったのではないかと思います。上部にある半円形の表示は元々のデザインなのか、それとも時計のように針が回るタイプだったのか、興味は尽きません。

さて、「KIITO」。現在は貸しホールやギャラリー、会議室、カフェ、図書館などに利用され、一部は企業のオフィスも入居していますが、旧館2階部分には「生糸検査所ギャラリー」があり、生糸の検査方法や歴史が当時の映像資料や器具などと共に展示され、往時をしのぶことができます。かつて日本で最も重要な輸出品だった生糸。その品質管理が厳正に行われていたことを示しています。

限りなく昭和な空間。
生糸はいくつかの工程を経て、等級、正しい量であるかどうか、品質が保たれているかなどのチェックを受け輸出されていきました。こうした国立検査所は横浜と神戸に設置されていました。

こうした展示を見ると、少~し賢くなったような気分になりますね。ぜひお訪ねください。

【神戸税関150周年】館内ロケ地巡り

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今年は、江戸時代に設けられた全国の「運上所」が「税関」と名を改めて150周年にあたります。これを記念し神戸税関で開催された「館内ロケ地巡り」に参加しました。

多くのバスや車が行き交う三宮・フラワーロード。山側から見ると突き当りに円筒形の時計塔を持つ神戸税関の建物がよく見えます。
以前も「神戸臨港線を歩く(←リンク先へ)」でご紹介した新港地区の近代建築群。シンボル的存在がこの神戸税関です。左が旧神戸市立生糸検査所、その奥に少し新港貿易会館が見えています。今回は税関の建物に入って見ましょう。

入口を入るとまず目に飛び込んでくる丸い空間。3階部分まで吹き抜けになっています。

上から見下ろしてみました。床のタイル模様が凝っています。
今回は「ロケ地巡り」ということで、この場所を使った映画やテレビドラマが紹介されていました。どのシーンに登場するのか、よくご存じの方もいらっしゃることでしょう。2/4~12の期間中、土日は神戸フィルムオフィスによるガイドツアーがありましたが、各回15名ということで整理券は「瞬殺」状態でした。
現在見られる時計塔部分は2代目庁舎として1927(昭和2)年に竣工しました。この模型は建築当時の姿を再現したもので、平日であれば広報展示室でいつでも見ることができます。
1999(平成11)年に完成した現在の3代目庁舎の模型。2代目庁舎の正面部分をそのまま残し、同じデザインで連続性を持たせて長く延長したスタイルとなっています。なかなか素晴らしいアイデアだと思います。
中庭から時計塔部分を。この部分、元は中庭ではなく屋根のかかった室内部分でした。オブジェとして当時のものと思われる柱が使われ、明るい雰囲気の空間となっています。ガラス張りの廊下として残した部分がおしゃれですね。
順路に沿って進むと特別会議室と旧貴賓室が公開されており、中に入ることができました。2代目庁舎を流用した区画です。
特別会議室。他の部屋の内部は分かりませんが、ここは当時の姿を残しているようです。「海賊と呼ばれた男」のロケで使われたそうです。
旧貴賓室。建物正面のカーブした部分に作られており、扇形の部屋です。実用的ではない形ゆえか優雅な感じがしませんか。あ、そうそう。上写真の模型でもここにはきちんとカーテンが付けられていました。明らかに製作者のこだわり(笑)です。
貴賓室付属のトイレ。大理石張りの壁に洗面台の鏡。使うのがもったいないです。(実際にこの日は「使用禁止」となっていました。日頃から使われているのかどうかは不明です。)

外から見ることの多い近代建築ですが、中に入れる機会があれば今後ともご紹介したいと思います。

【神戸元町】乙仲通を歩く・後編

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乙仲通で建物ウォッチングするむ~パパ。西へ向かって歩いて行きます。

またまた古そうなビル「栄町ビルディング」を発見。隣や裏側の一見別棟に見えるビルも一体で、結構大きいビルです。
正面から。なかなか良い雰囲気です。中央の廊下両側に店舗や医院が入居しています。
廊下部分を撮影。モノクロにしてみましたがいかがでしょうか。映画のロケに使えそうな雰囲気ですね。
同ビル右半分の正面。こちらは廊下ではなく、中央入口からは階段がつながっていました。
さらに西へ歩くとこれまた古い店舗建築が。かなり老朽化が進んでいますが、壁の装飾が魅力的です。
横から見てもなかなかのもの。現在は上下とも店舗ですが、元は海運会社のオフィスとして使われていたものと推測します。昭和初期のものでしょう。
(おまけ)近代建築ではありませんが・・・。電気メーターや湯沸器などがこれでもかと壁に取り付けられています。無秩序に見えつつ不思議なほど整理され美しささえ感じる配線。素晴らしい!
上写真の表側。お洒落なお店が入っていました。よく見ると建物もかなり古そうですね。

表通りから外れたところは意外に面白い発見がありますね。まだまだ掘り起こせるものはありそうです。

【神戸元町】乙仲通を歩く・前編

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元町の近代建築と言えば海岸通の大規模なビル建築が知られていますが、海岸通と栄町通の間にある「乙仲通(おつなかどおり)」もレトロなビルがたくさん建っている近代建築集積エリア。お洒落なカフェやいろんなお店がたくさんあったりして話題の観光スポットではありますが、む~パパ、お店より建物ということで、少し散策してみました。

神戸を代表するビジネス街、栄町通。かつては市電が走っていました。乙仲通はこの南側の通りです。ちなみに「乙仲」とは戦前の海運組合法で定期貨物を取り扱う「乙種仲立業」が多く集まっていたから、だそうです。
南京町から乙仲通へ入るとすぐ目に付く近代建築「昭和ビル」。昭和初期の建築と思われます。
入口から中をのぞくと、タイムスリップしたかのような昭和の空間。
「昭和ビル」南側から。こちらの入口もなかなか魅力的。建物本体も面白い形をしていますね~。
海岸通に面する「海岸ビル」ですが、乙仲通側にひっそりとフランス料理店の入口がありました。む~パパ、こんなお店の常連になってみた~い!
この「海岸ビル」表側は石積み。裏側がレンガ積みだとは知りませんでした。
正面のアーチ入口から一気に3階まで登る階段。日本ではないような空間が広がっています。
KISCO神戸営業所。旧岸本産業本社ビル。ケーキのような段々に積み重なったスタイルが特徴的。昭和初期のものです。西隣にもレトロなビルがあったのですが、取り壊されて駐車場になってしまいました。こういった近代建築は老朽化や耐震性の問題から、少しずつ消えていくのが実情なのでしょう。

全部は紹介しきれませんが、あとは後編としましょう。

【網干レトロ・モダン】久しぶりに街歩き(前編)

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山陽電車および豊橋から続く私鉄ネットワーク最西端の駅、山陽網干。む~パパ、久々に降り立ちました。今日は街歩きする気満々です。
網干と言えばレトロな街並みとモダンな近代建築が残り、散策し始めると丸1日使ってしまう魅力的な町。意外に知られていないのが、実にもったいないです。
網干のシンボルとも言える旧網干銀行。1922(大正11)年築。以前訪れたときは洋服店でしたが、現在はレストラン「湊倶楽部」となっています。内部をじっくり見学したいところですが、ちょっと気軽に入れる値段ではないので、む~パパ、今日は外観だけチェック( ;∀;)しました。
湊倶楽部に隣接して昔ながらの商店街がありますが、いかにも「鉄道模型のジオラマ」に出て来そうな看板建築が残っています。手前の建物2階の窓枠は、いかにも戦前の昭和な雰囲気です。
そのお隣はまさに「ザ・看板建築」。右から書かれた店名や凝った意匠は、近代建築が普及した時代のファザード装飾で、今となっては非常に貴重なものと思われます。地方都市にはまだまだ現存例が確認されていますが、徐々に姿を消しつつあります。旧網干銀行の並びでもあり、景観上一緒に残してほしい貴重な建築物です。
一方、網干は江戸の町並みを色濃く残した町でもあります。見通しを悪くした街路は、城下町と同じ軍事的な役割を持たせたものでしょう。
昔の佇まいを残す落ち着いた雰囲気。近年はこうした歴史的町並みを保存する動きが見られます。
現在は欄干のみが残る「境橋(さかいばし)」。網干は江戸時代、龍野藩脇坂氏が治めましたが、四国丸亀に移った前藩主京極氏の飛び地があり、その境に架けられていたものです。現在は興浜地区と呼ばれる地域で、江戸時代、境橋から西側だけが「四国丸亀領」だったのです。
興浜地区にある網干のもう一つのシンボル、旧山本家住宅。網干銀行頭取を勤めた同氏が建てた和洋折衷の建物で、現在は日を限って内部公開しています。

というわけで、む~パパ、本当の目的は「山本家住宅」内部の見学だったりします。(つづく)

【古い倉庫が魅力】神戸臨港線を歩く(その3)

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前回「その2」でも登場した突堤に伸びる引込線が記された地図。今回は今も残る線路跡を感じさせる倉庫群を訪ねます。

臨港線自体はこの図の上方を通っている線です。まずは赤で塗った部分から。

三井倉庫。元は前身の東神倉庫として1926(大正15)年に建てられたもの。海側から見ると同じ意匠の建物が2つ並んでいるように見えますが、上図のとおり西側(写真では左側)の建物の北側は引込線に沿って切り込まれています。

駐車場部分は線路跡で、線路に沿って建物がカーブしています。

北側から。1階部分にはかつて線路が敷かれていました。貨車が据え付けられ荷物を積んでいた情景がよみがえります。

上図の緑で示した部分が三菱倉庫。1925(大正14)年築。

もちろんこちらにも線路が入っていました。少し前までは線路そのものも残っていました。現在は埋められたのか見ることは出来ませんが、建物の1階部分はいかにも引込線らしい姿を残しています。
三菱倉庫のさらに隣は住友倉庫なのですが、事務所棟の間を通る引込線の痕跡が今もゆるやかなカーブとなって残っています。

三菱倉庫の西側は住友倉庫。上図の青で示した部分となります。1926(大正15)年築。新港地区の倉庫群は同時期に一斉に建設されたことが分かります。線路が入っていた部分は増築されたのか西側とは外観が異なっており、現在痕跡はありません。

海側から見た住友倉庫。高層建築が林立し、周囲の景観は一変しました。

この隣、上図の黄色で示した部分は川西倉庫が建っていましたが、新港地区の再開発に伴い取り壊され、フェリシモ新本社やポートミュージアムが建っています。大正時代に建ったこれらの倉庫群もいずれは消え、鉄道のあった痕跡も過去のものになっていくのでしょうね。

せっかくですので、今は無き川西倉庫の姿をご紹介しましょう。

かつて住友倉庫の隣にあった川西倉庫。西側壁面のカーブはもちろん引込線に沿ったものです。1925(大正14)年築。貴重な産業遺産ではありますが、保存するには大きすぎますね・・・。(2004.2.21撮影)


引込線のうち1本は川西倉庫の1階部分を通過していました。そのままの姿を残しています。(2004.2.21撮影)

大規模な倉庫群はいずれも大正時代から残る貴重なもの。クリックにもご協力ください。
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【近代建築】神戸臨港線を歩く(その2)

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神戸臨港線跡を探索するシリーズ。今回は新港地区に残る近代建築をご紹介します。

先日「神戸・移り変わる町とくらし」展で大きな地図が掲示されており、そこに臨港線の線路がはっきり記されていました。この図で一番右端にある第4突堤は現在ポートターミナルがあり、神戸大橋がポートアイランドに達しています。

その根元を拡大すると・・・。

臨港線から分岐して突堤へ延びる線路が縦横に張り巡らされているのが分かります。「農林省神戸生糸検査所」「神戸税関」「総合貿易館」の文字が見えます。このいずれもが現存しています。一つ目、農林省神戸生糸検査所。旧国立生糸検査所(現:デザイン・クリエイティブセンター神戸)。1932(昭和7)年築。新港地区に残る代表的近代建築です。上図にあるように道路部分は今も同じですが、駐車場部分は線路跡です。

旧国立生糸検査所の西面に建てられている旧神戸市立生糸検査所。1927(昭和2)年築。上図「農」あたりに建っているものです。

夜はライトアップされています。

この旧神戸市立生糸検査所の南にあるのが新港貿易会館。上図の「総合貿易館」です。1930(昭和5)年築。国登録有形文化財。この建物の南側と北側の両方に線路が敷かれていました。

新港貿易会館の南側に隣接する三井倉庫。旧東神倉庫の建物です。この地区に建つ倉庫群については次回以降にご紹介しましょう。

新港地区入口に建つランドマークが神戸税関本館。1927(昭和2)年築。吹き抜け部分を中庭とするなど、震災復旧にあたって原型を残しつつリニューアルされています。

ちなみに、終戦直後に撮影されたこれらの建築物が以下のサイトで公開されています。線路や貨車の姿がありますので、是非ご覧ください。
一枚の写真から 27-1 終戦直後の神戸の写真 1: 汽車好きクラーケン (cocolog-nifty.com)

建築物と廃線跡を同時にご紹介するのは難しいですね~。クリックにもご協力ください。
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【近代建築】内藤多仲が構造設計 商船三井ビルディング

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いきなり内藤多仲と言われて「誰やねん?」と思われる方も多いと思われますが、東京タワーをはじめ全国で多くの塔を設計し「塔博士」と呼ばれた建築構造技術者です。塔で有名なのは言うまでもありませんが、ビルの構造設計にも多く関わっておられ、この内藤博士が構造設計したもので現存する最古の建築が神戸にあります。


それが元町・旧居留地にある商船三井ビル(旧大阪商船神戸支店)。1922(大正11)年に竣工。設計は渡辺節。冬らしい澄んだ青空が美しいです。

この角度からの写真はまさに神戸の近代建築群という感じ。商船三井ビルの隣は海岸ビル。阪神大震災で内部が大きく損傷し、現在は外壁を残して建て替えられています。外壁には米軍機の機銃掃射痕が生々しく残り、戦争の傷跡を今に伝えています。
北側から。当時の7階建は相当な高層建築だったようです。同時期の大規模なオフィスビルは東京の丸ビルや大阪のダイビルがありましたが、いずれも取り壊され現存するのは神戸の商船三井ビルだけになりました。近代化産業遺産に指定されています。
週末にはライトアップされるというので、日没後にまた行ってみました。
海岸ビルとのコラボも良いですね。


昼間とはまた違う石造りの重厚な感じが伝わってきます。って、おお寒~!

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