神戸電鉄の起点、湊川駅。そこはNHK「ブラタモリ」でも紹介された兵庫と神戸の境界線でもありました。今回は少し周辺を歩いてみましょう。
「人工衛星饅頭」は今川焼の一種ですが、現在でも100円なのは良心的価格というべきでしょう。なかなかの人気のようで行列が出来ていました。
付替え工事によりルートの変わった湊川(新湊川)。次回は元々のルート上に開けた商店街を散策します。
神戸電鉄の起点、湊川駅。そこはNHK「ブラタモリ」でも紹介された兵庫と神戸の境界線でもありました。今回は少し周辺を歩いてみましょう。
「人工衛星饅頭」は今川焼の一種ですが、現在でも100円なのは良心的価格というべきでしょう。なかなかの人気のようで行列が出来ていました。
付替え工事によりルートの変わった湊川(新湊川)。次回は元々のルート上に開けた商店街を散策します。
む~パパ、ネットに載っていた記事を確かめに神戸三宮にやって来ました。
ここに1945(昭和20)年のアメリカ軍による空襲の痕跡が多く残っているということで、む~パパ、上を見上げてみますと・・・。
神戸市ホームページにある「写真から見る戦災」によると、No.16に戦災を受けたホーム上屋が写っており、全焼している様が見て取れます。
→ 2度にわたる大空襲で焼けた阪急ビル
こうした戦争遺構は急速に姿を消しつつありますが、身近なところにまだ残っているものですね。平和のありがたさが身に染みます。
先日、神戸税関内を見学したむ~パパ、続けて東側に向かい合う旧生糸検査所(現デザイン・クリエイティブセンター神戸「KIITO」)の中へ初めて入ってみました。
さて、「KIITO」。現在は貸しホールやギャラリー、会議室、カフェ、図書館などに利用され、一部は企業のオフィスも入居していますが、旧館2階部分には「生糸検査所ギャラリー」があり、生糸の検査方法や歴史が当時の映像資料や器具などと共に展示され、往時をしのぶことができます。かつて日本で最も重要な輸出品だった生糸。その品質管理が厳正に行われていたことを示しています。
こうした展示を見ると、少~し賢くなったような気分になりますね。ぜひお訪ねください。
今年は、江戸時代に設けられた全国の「運上所」が「税関」と名を改めて150周年にあたります。これを記念し神戸税関で開催された「館内ロケ地巡り」に参加しました。
入口を入るとまず目に飛び込んでくる丸い空間。3階部分まで吹き抜けになっています。
外から見ることの多い近代建築ですが、中に入れる機会があれば今後ともご紹介したいと思います。
乙仲通で建物ウォッチングするむ~パパ。西へ向かって歩いて行きます。
表通りから外れたところは意外に面白い発見がありますね。まだまだ掘り起こせるものはありそうです。
元町の近代建築と言えば海岸通の大規模なビル建築が知られていますが、海岸通と栄町通の間にある「乙仲通(おつなかどおり)」もレトロなビルがたくさん建っている近代建築集積エリア。お洒落なカフェやいろんなお店がたくさんあったりして話題の観光スポットではありますが、む~パパ、お店より建物ということで、少し散策してみました。
全部は紹介しきれませんが、あとは後編としましょう。
というわけで、む~パパ、本当の目的は「山本家住宅」内部の見学だったりします。(つづく)
前回「その2」でも登場した突堤に伸びる引込線が記された地図。今回は今も残る線路跡を感じさせる倉庫群を訪ねます。
臨港線自体はこの図の上方を通っている線です。まずは赤で塗った部分から。
三井倉庫。元は前身の東神倉庫として1926(大正15)年に建てられたもの。海側から見ると同じ意匠の建物が2つ並んでいるように見えますが、上図のとおり西側(写真では左側)の建物の北側は引込線に沿って切り込まれています。
駐車場部分は線路跡で、線路に沿って建物がカーブしています。
北側から。1階部分にはかつて線路が敷かれていました。貨車が据え付けられ荷物を積んでいた情景がよみがえります。
上図の緑で示した部分が三菱倉庫。1925(大正14)年築。
もちろんこちらにも線路が入っていました。少し前までは線路そのものも残っていました。現在は埋められたのか見ることは出来ませんが、建物の1階部分はいかにも引込線らしい姿を残しています。
三菱倉庫のさらに隣は住友倉庫なのですが、事務所棟の間を通る引込線の痕跡が今もゆるやかなカーブとなって残っています。
三菱倉庫の西側は住友倉庫。上図の青で示した部分となります。1926(大正15)年築。新港地区の倉庫群は同時期に一斉に建設されたことが分かります。線路が入っていた部分は増築されたのか西側とは外観が異なっており、現在痕跡はありません。
海側から見た住友倉庫。高層建築が林立し、周囲の景観は一変しました。
この隣、上図の黄色で示した部分は川西倉庫が建っていましたが、新港地区の再開発に伴い取り壊され、フェリシモ新本社やポートミュージアムが建っています。大正時代に建ったこれらの倉庫群もいずれは消え、鉄道のあった痕跡も過去のものになっていくのでしょうね。
せっかくですので、今は無き川西倉庫の姿をご紹介しましょう。
かつて住友倉庫の隣にあった川西倉庫。西側壁面のカーブはもちろん引込線に沿ったものです。1925(大正14)年築。貴重な産業遺産ではありますが、保存するには大きすぎますね・・・。(2004.2.21撮影)
引込線のうち1本は川西倉庫の1階部分を通過していました。そのままの姿を残しています。(2004.2.21撮影)
神戸臨港線跡を探索するシリーズ。今回は新港地区に残る近代建築をご紹介します。
先日「神戸・移り変わる町とくらし」展で大きな地図が掲示されており、そこに臨港線の線路がはっきり記されていました。この図で一番右端にある第4突堤は現在ポートターミナルがあり、神戸大橋がポートアイランドに達しています。
その根元を拡大すると・・・。
臨港線から分岐して突堤へ延びる線路が縦横に張り巡らされているのが分かります。「農林省神戸生糸検査所」「神戸税関」「総合貿易館」の文字が見えます。このいずれもが現存しています。一つ目、農林省神戸生糸検査所。旧国立生糸検査所(現:デザイン・クリエイティブセンター神戸)。1932(昭和7)年築。新港地区に残る代表的近代建築です。上図にあるように道路部分は今も同じですが、駐車場部分は線路跡です。
旧国立生糸検査所の西面に建てられている旧神戸市立生糸検査所。1927(昭和2)年築。上図「農」あたりに建っているものです。
夜はライトアップされています。
この旧神戸市立生糸検査所の南にあるのが新港貿易会館。上図の「総合貿易館」です。1930(昭和5)年築。国登録有形文化財。この建物の南側と北側の両方に線路が敷かれていました。
新港貿易会館の南側に隣接する三井倉庫。旧東神倉庫の建物です。この地区に建つ倉庫群については次回以降にご紹介しましょう。
新港地区入口に建つランドマークが神戸税関本館。1927(昭和2)年築。吹き抜け部分を中庭とするなど、震災復旧にあたって原型を残しつつリニューアルされています。
ちなみに、終戦直後に撮影されたこれらの建築物が以下のサイトで公開されています。線路や貨車の姿がありますので、是非ご覧ください。
一枚の写真から 27-1 終戦直後の神戸の写真 1: 汽車好きクラーケン (cocolog-nifty.com)
いきなり内藤多仲と言われて「誰やねん?」と思われる方も多いと思われますが、東京タワーをはじめ全国で多くの塔を設計し「塔博士」と呼ばれた建築構造技術者です。塔で有名なのは言うまでもありませんが、ビルの構造設計にも多く関わっておられ、この内藤博士が構造設計したもので現存する最古の建築が神戸にあります。
それが元町・旧居留地にある商船三井ビル(旧大阪商船神戸支店)。1922(大正11)年に竣工。設計は渡辺節。冬らしい澄んだ青空が美しいです。
この角度からの写真はまさに神戸の近代建築群という感じ。商船三井ビルの隣は海岸ビル。阪神大震災で内部が大きく損傷し、現在は外壁を残して建て替えられています。外壁には米軍機の機銃掃射痕が生々しく残り、戦争の傷跡を今に伝えています。
北側から。当時の7階建は相当な高層建築だったようです。同時期の大規模なオフィスビルは東京の丸ビルや大阪のダイビルがありましたが、いずれも取り壊され現存するのは神戸の商船三井ビルだけになりました。近代化産業遺産に指定されています。
週末にはライトアップされるというので、日没後にまた行ってみました。
海岸ビルとのコラボも良いですね。
昼間とはまた違う石造りの重厚な感じが伝わってきます。って、おお寒~!
風邪をひかない程度に散策を。クリックにもご協力ください。
にほんブログ村