楽しいむ〜さん一家

6000系増備車が営業開始!(その3・6014号)

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今回増備された6000系のうち、4両編成で登場した6014号が3両編成より少し遅れて4月17日より営業運転に投入されました。またまた、下回りが汚れてしまう前に出動です。
6000系の4両編成としては5本目となる6014号。乗車していないので何とも言えませんが、少なくとも外見は6013号までの編成と変わりないようです。(月見山~須磨寺間)

3072号とともに「さくら」ヘッドマークが未だに付いている5020号。この場所は4両編成までの撮影地ですので、6両編成が来ると最後尾まで入りません。(月見山~須磨寺間)

何の工夫もないのですが、天気も良かったのでいつもの西二見駅へ。ところが急に天候が悪化し雨どころか強風も吹きまくる荒天に。雨に濡れながらもとりあえず撮影。(西二見~播磨町間)

雨の中撮るほど切羽詰まってはいないのですが・・・。4両編成は他の編成と連結する必要がないため、前後とも幌枠のないすっきりした顔をしています。(西二見駅)

仕方ないので、撮影を切り上げ遅いお昼ご飯を食べていたら、先ほどまでの天候が信じられない快晴になったため、再出動。
午後順光で失敗しない撮影地へ。また「さくら」ヘッドマークの5020号がやって来ました。こちらは電柱が入りますが(こればかりは仕方ないですが)6両編成がきれいに撮れます。(林崎松江海岸~藤江間)

ところが、6014号通過直前に再び雲が・・・。
新車をきれいなうちに記録したいというだけですので、晴れでないといけないということはありませんが、少々がっかり。(林崎松江海岸~藤江間)

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3026号に「Last Run」ヘッドマーク

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4月は電車の話題が連発です。

6000系3編成の増備により代替されると思われる3000系は3026・3028・3030の3編成。そのうち3026号が4月28日に引退ということで、恒例の「Last Run」ヘッドマークが取り付けられました。


今回取り付けられたヘッドマーク。1号車3026側。登場時の非冷房・列車無線無し・方向幕使用前のスタイルを再現しています。行先看板は「山陽-阪神」


3号車側3613号。「山陽-阪急」になっています。姫路側は当時貫通幌が取り付けられており、少々いかめしい印象でした。3613号は登場時は3026号ではなく、他の編成に組み込まれていました。(いずれも画像提供:山陽電気鉄道 ※商用利用はお断りします。)

有名撮影地で撮るのは面白くないので、今回は趣向を変えて国道2号線沿いで撮影しました。自動車が写らないよう撮るのは、まさに賭けというべきです。(西舞子~大蔵谷間) 何とか自動車に遮られずに済みました。
その後、戻って来る上り列車を狩口東踏切東方から。午後ゆえ逆光気味・・・。

国道2号線沿いですが、歩道がないので路肩で撮影。上り列車を後追い撮影するのに向いています。通行する自動車には十分注意が必要です。(西舞子~大蔵谷間)
下り直通特急5000系。電柱や道路標識をどう処理するかは撮影者のセンスと言えます。む~パパの苦手な分野・・・。
今一つ納得できなかったので、後日に再度撮影してみました。(月見山~須磨寺間)

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6000系増備車が営業開始!(その2・6015号)

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4月10日に営業開始した6015号・6016号両編成のうち、夜から営業開始したため撮るのをあきらめた6015号を翌11日、撮影に出掛けました。

時刻はまだ6時前。藤江~中八木間の谷八木踏切にやって来ました。よく考えれば6015号、日が昇って明るくなった時にもう一度回送列車で通るので、この角度なら後で撮りに来れば良かったわけですが、起き抜けなので頭が働いていません。おまけに線路に日が当たっていません。もちろんこんな時刻に撮影に来ている人もいません。

6時を過ぎるとようやく日が当たって来ました。何とか撮れそうです。

む~パパが初めて捕らえた6015号。今回6015・6016の3両編成2本ですが、他の編成にならい6両編成とする際、偶数編成が大阪寄り、奇数編成が姫路寄りとなるようです。この6015号、中間に組めるよう幌枠や外幌用の取付台などが大阪寄りに設備されています。この2編成を6両編成にするときは6016-6015となるのでしょうか・・・?それにしても新車特有の美しさです。

さてさて、その後は須磨寺に移動、薬師踏切東方の撮影地で。朝早いので影が多くなりますが、こればかりは仕方ありません。
下り列車を同じ撮影地から。3050形アルミカー。ニューアルミカーと呼ばれたこの編成も今年でデビュー40周年。小学校の窓から見た衝撃の「白い新車」からもう40年、む~パパもすっかりオッサンです。目にも鮮やかな新緑が車体に反射していました。
この日最後の運用。これを最初の藤江で撮れば良かったのですが・・・。東垂水踏切からあえて逆光を活かして撮ってみました。幌枠の無いすっきりした顔をしています。

4連の6014号は少し遅れて営業運転を開始しています。クリックにもご協力を!
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【8月4日は阪神の日】少し昔の阪神電車

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8月4日は「阪神の日」。ちょっと昔と言いつつ30年前の阪神電車の写真を引っ張り出してきました。む~パパが高校生の時に撮ったもの。いずれも山陽電車線内を走る姿です。

7001・7101形。日本で初めて営業用車両として実用化されたサイリスタ・チョッパ制御車の第1編成です。7101-7001-7002-7940-7840の5両固定編成でデビューしましたが、7102を加え4連で他の編成と組むようになりました。のち制御器を交換し2000系へ。7102号は2202号となりましたが、阪神大震災で被災し廃車となりました。
(月見山~須磨寺 1988.5.3)

7601・7701形。3601・3701形を7001・7101形と同じチョッパ制御車へ改造し改番したもの。丸みを帯びた阪神初期の赤胴車スタイルが懐かしいです。写真は地上時代の板宿駅。(板宿 1988.5.3)

7801・7901形。1963(昭和38)年に登場したR車と呼ばれる経済車。切妻の正面や裾のRを省略した簡易な設計が特徴でした。一時期は阪神電車で最大勢力を誇りました。
(月見山~須磨寺 1989.4)

須磨浦公園の桜と7801・7901形。7835号以降は車体裾のRが戻り、赤胴車としては初めて両開き扉を採用しました。7835~7839は登場時ラインデリアを装備しており、低くスマートな車体でした。(須磨~須磨浦公園 1989.4)

7801・7901形のうち7840号以降は7001・7101形と同一の車体で当初から冷房を装備していました。深い屋根が特徴で、のち方向幕が装備されています。
(東須磨~月見山 1981年)

地下化工事の進む板宿~西代間の仮線を走る3000系。3000系は7801・7901・3521形を界磁チョッパ制御車に改造したもの。外観は7801・7901形時代と同一で、3521形後期型から改造された車両は前面の雨どいが車体に埋め込まれていました。
(西代~板宿 1988.6.4)

いかがでしたか?一昔前の阪神電車は、なかなか個性的な面々が揃っており撮影も面白かったです。現在は洗練され都会的な電車になっていますが、かつてのどこか庶民的な魅力を持った阪神電車も懐かしく思い出されます。

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オフシーズンの須磨離宮公園

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雪がちらつく寒波襲来の日。昼からは晴れてきたので、ふと須磨離宮公園に行ってみました。

さすがに訪れる人は極めて少なく(全くいないというわけではありませんが)、ほぼ貸切状態です。寒いということさえなければ、非常に贅沢です。自分のためだけに噴水が出ているような気分になれますよ!

表の椅子に座ろうという人もいません。冬らしい清浄な空気が身を引き締めてくれます。この雰囲気で何かこう、写真家になったような気がしますが、あくまで気のせいです。

その中で温室だけが春の雰囲気。湿度が高く、暖かい室内には花が咲いています。空いているのを良いことに、ここでボーッと過ごすのも贅沢です。

外に出てみると、何か赤いものが。

梅、咲いてますやん。

白いほうも。

まだまだ寒い冬と思っていましたが、春の足音も少しずつ聞こえていますね。

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月見山から山の手を(前編)

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弥刀の住んでいる月見山も生活感から自由になれない下町だが、少し山手に行けば皇族の離宮だった広い公園がある。月見山という地名も平安時代に都から流されてきた貴族が月見をしたというのが由来だそうだ。(森田季節「ともだち同盟」より)」

「ともだち同盟」については”聖地巡礼”報告をブログに書いている方が多いのと、ネタバレになるのでこれ以上詳しくは書きません。ただ山陽電車が物語の中心に登場する数少ない小説(少々特異な世界観が展開しますが・・・)とは言えるでしょう。と今回な~んの脈絡もなく、む~さん一家はその月見山にやって来ました。「ともだち同盟」主人公の一人、大神弥刀は離宮公園のすぐ下に住んでいるそうです。でもまあ、そちらには行きません。

せっかく来たのでむ~さんの写真を撮ります。月見山駅前の踏切を挟んで西側には1948(昭和23)年まで使われていた旧上りホームが残っています。昔は沿線各所にこんな遺構がありましたが、かなり減ってきました。何気なく乗っていると見過ごしてしまうものだけに、まめに記録しておくことも必要ですね。
 
これが旧ホームです。白線(点線というべきでしょうか)が残っています。そもそもホームの白線って一体いつごろから日本の鉄道駅にこのスタイルで存在するものなのでしょうか?1948年に使われなくなったホームですでにあるということは、たぶん戦前からあったものなのでしょうね。また調べておきましょう。高さが今より低いですが、当時は路面電車然とした車両を使用しており、逆に現在のような規格の車両がこの区間に入ってくるのも同じ1948年ですから、大型車の導入に合わせてホームを移設したと考えるのが自然でしょう。

駅の北側には昔ながらの住宅地が広がっています。道が狭いので車で迷い込むと大変なことになりそう。駅のすぐ東側には月見山駅のホーム下をくぐる地下道の入口がぽっかり・・・。なかなかシュールな風景でしょ。東へ進み天井川を渡ると須磨離宮公園の植物園側入口が近いのですが、今回は行きません。そして、またしても寄り道・・・。

三菱重工さんの社宅があり、高台のビューポイントです。ここから下側に出る怪しげな地下道というかトンネルがあったはず、と記憶を頼りに行ってみると・・・。

あっ、あれれ。トンネルそのものはまだあるようですが、入口は見事に塞がれていて通行不能でした。ちなみにこのトンネル、途中で曲がっていたので出口が見えない上、急な坂になっていました。(社宅内は私有地です。みだりに立ち入らないように・・・。)

三菱重工社宅の向かい側、旧須磨高校の脇から山裾を辿るルートを。若木町・上細沢町のあたりで、北側を向くと坂ばかり。平坦な地で育ったむ~ママは「こんなところで生活をするなんて信じられん」そうですが。そのまま歩くと以前は東須磨駅からまっすぐ上がってくる道に突き当たっていたのですが、現在途中が開発されて住宅地になり、旧道と団地内道路が不自然な形でつながっています。

ここに傾斜15%の急坂が待っています。写真ではあまり実感が湧きませんが・・・。登り詰めた先に昔から須磨裕厚病院があり、平屋の建家がレトロな雰囲気を漂わせていますが、ここから海側を振り返ると、いかにも坂の街神戸らしい風景が広がります。東須磨でもこんな風景が見られることは、このあたりにお住まいの方はともかく、あまり知られていないような気がします。
ここからさらに上がると高尾台に通じる道があります。戻ってくるのが大変なので今日はここで折り返します。

急坂の途中には小さな谷もあります。以前、この工事用フェンスの向こう側は木造アパートがそれこそ谷底に至るまで建っていました。この道路にはアパートの2階部分が面しており、階段で1階部分に降りると下段に建っているアパートの2階部分があるという感じです。長田の山手に行けばまだまだ残っていそうな風景ですが、東須磨の方はきれいに取り払われ、ただの谷に戻っていました。む~パパ、密かに「ラピュタの谷(なんのこっちゃ)」と呼んでいたので、ちょっと残念・・・。

この坂を下りたあとは旧大手踏切道付近へ向かいます。(続く)

A:月見山駅
B:月見山地下道へ続く道
C:三菱社宅入口
D:上細沢町へ向かう坂道
E:小さな谷
F:須磨裕厚病院


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月見山から東須磨へ。山陽電車で小さな沿線散歩をお楽しみください。
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