楽しいむ〜さん一家

【アリオ加古川】あの別府鉄道が復活!?

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別府駅。夏空がきれいですが、こんなところで立ちんぼしていると熱中症になってしまいます。どこか涼しいところに避難しないと!
というわけで、別府駅南側すぐ、この3月に大改装が完成したアリオ加古川へ。「Loft」や「無印良品」もあり便利に買い物ができます。

む~パパ。なんとなく3階の書店で探し物をしていたのですが、ふと表に汽車が走っているのを見つけました。子供を乗せて店内を周回しています。早速追いかけていきました。

いやまあ、汽車自体はよくある電気で走る遊具に違いないのですが、よく見ると・・・。
「べふ鉄道号」?あの別府鉄道のことでしょうか・・・?「まさか」と思いましたが、しっかりと社章が付いています!こ、これは、ホンモノの・・・!
機関車に連なる客車にもしっかり社章が!

それもそのはず。ここアリオ加古川ほか周辺は元々多木化学の土地です。別府鉄道は多木化学が生産する肥料を輸送する同社系の鉄道で、同じ社章でした。同社HPによると「太古創農の時代に田畑を耕すために使用されたスキを図案化したもの」だそうです。

ちなみにこのマークを旅先で見かけるとちょっとうれしいです。(2013年 三重県亀山市内で)
現在の別府駅付近。新幹線と山陽電車が並走、赤い屋根が山陽電車の別府駅。南側にある大きな建物がアリオ加古川で、別府駅の下をくぐって南北に延びる道が別府鉄道野口線跡、画面右中央部からやってきて野口線跡と交わるのが別府鉄道土山線跡。合流部分に別府港駅がありました。
(写真出典:国土地理院)
1979~1983年頃。別府鉄道は現役で、写真中央部が別府港駅となります。現在のアリオ付近は空き地のようです。
(写真出典:国土地理院)
そんなわけで、別府鉄道は40年近くの年を経て「べふ鉄道」として復活したと言えます。乗り場に設置された時刻表には土日祝のみの運行で、20分ヘッドであると記されています。別府鉄道時代より本数が増えているのではないでしょうか!

む~パパ、実は汽車が走っている姿を撮影しようと2度目の取材を敢行したのですが、どうも乗客がいないと運行しないらしく、結局1時間近く待っていたのですがとうとう汽車が動くことはありませんでした。切符を買うと走るのでしょうが撮れないし・・・。

というわけで、今回は走っている姿を「見た」んだけれども撮れなかったということで。残念でした。

【高砂線廃線跡を歩く③】加古川駅まで

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山陽電車の北側へ出た高砂線跡は、道路となって加古川駅を目指します。ここはひたすらウォーキング。写真正面の高架道路は明姫幹線、高架下に見える緑は鶴林寺です。
鶴林寺。兵庫県の建築物では最古となる太子堂や、折衷様建築の代表作とも言われる本堂が国宝に指定される古刹。お寺の真横に高砂線「鶴林寺駅」がありました。
鶴林寺駅。ローカル線らしい無人駅でした。1984年(提供:山陽電鉄OB)
1979~1983年の航空写真(出典:国土地理院「地理院地図」)
鶴林寺駅は鶴林寺の門前にあります。高砂線はこの先で別府港から来る別府鉄道野口線と、野口駅で接続していました。
現在の鶴林寺付近(出典:国土地理院「地理院地図」)
高砂線の跡地は道路に、別府鉄道跡地は遊歩道「松風こみち」となってます。野口駅跡は少し広いスペースや緑地になっています。40年経ち宅地化が進んでいるのが分かります。

別府鉄道の跡地「松風こみち」の終点。高砂線との合流点にあたります。

そのまま進むと加古川市役所のそばを通り、JR山陽本線(神戸線)にぶつかります。高砂線は当時地平にあった山陽本線を築堤で乗り越え、北側から加古川線に合流する形でした。
1979~1983年の加古川駅付近(出典:国土地理院「地理院地図」)
加古川駅を出た加古川線から、高砂線、軍用線(旧陸軍神野弾薬庫線)が分かれています。軍用線については以前ご紹介しました。
【加古川】旧陸軍神野弾薬庫線を歩く・前編【廃線跡】 | 楽しいむ〜さん一家 (blog-sanyo-railway.com)
【加古川】旧陸軍神野弾薬庫線を歩く・後編【廃線跡】 | 楽しいむ〜さん一家 (blog-sanyo-railway.com)
比較的最近の加古川駅付近(国土地理院「地理院地図」)
山陽本線が高架化され、高砂線の築堤が消滅しています。「比較的最近」と書いたのは、この写真ではまだはっきりしている高砂線跡がここ数年で急速に宅地化し、現地を歩いても分かりにくくなったためです。
上写真の中央部。今も廃線跡がはっきり残る区画。公園なのか細長い土地が広がります。前後の区画はすでに家が建ち並んでいます。
加古川線も高架化され当時の面影を失っていますが、このコンクリート壁は高砂線の遺構と思われます。

次回からは高砂港方面を探索します。お楽しみに。

【高砂線廃線跡を歩く②】山陽電車との並走区間

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加古川を渡った高砂線は、しばらく山陽電車に沿って東へ進みます。

奥が山陽電車。手前に現在も高砂線の築堤がきれいに残っています。近年フェンスが出来、立ち入れなくなりました。
現在も残る架道橋。この角度から見ると今にも列車が走って来そうです。
枕木も残っています。煉瓦を積み上げた橋脚。日本では標準的な「イギリス積み」です。
桜の季節に。山陽電車に並行して残る廃線跡。(尾上の松~高砂間)
線路跡は山陽電車の加古川県道踏切より東側からは道路に転用されています。写真は旧国鉄尾上駅付近を東側から。右に山陽電車の築堤が見えます。
山陽電車は尾上の松駅東方で築堤を上り高砂線を越えます。元々尾上の松駅はこの築堤上にあり、国鉄尾上駅と連絡していました。写真は高砂線廃線跡との交差部。単線だったため2車線の道路がここだけくびれており、車がすれ違うことは出来ません。
1984年の同場所(山陽電車OB提供)。300形普通列車が通過しています。奥に見えるのは国鉄尾上駅。線路はありませんが、今もそれほど変わらない雰囲気です。
国鉄尾上駅跡モニュメント。写真から見ると山陽電車の築堤にくっついて線路の東側にホームがあったようですね。

このまま加古川駅へ向かって北上します。(つづく)

【戦争遺跡】加古川飛行場と高射砲道路を歩く

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コロナ禍とメタボ解消のため、屋外でウォーキングを続けるむ~パパ。「旧陸軍神野弾薬庫線を歩く」で残した宿題を片付けるため、旧陸軍加古川飛行場跡地にやって来ました。
尾上公民館近くにある石碑。飛行場の正門がこのあたりにあったと伝わります。
飛行場の解説板。写真を見ると滑走路は三角形であることが分かります。「加古川飛行場跡地は広大な農地となり開発が進んだ現在・・・」とありますが、
Google Map昔の航空写真(1961~1964)を見てみると、滑走路の跡地がはっきり残っているのが分かります。
こんな感じですね。高射砲道路はこの飛行場と高射砲第3連隊を結ぶものでした。
ちなみに滑走路は1980年代になってもまだ形を残していたのですが・・・、
現在はわずかに一部が残るのみとなっています。なお、石碑はこの写真では中央下部にあり、滑走路とは少し離れています。相当広大な施設であったことが分かります。
(航空写真出典:Google Map)
現在の高射砲道路。元々「道路」だけに当時の痕跡は見当たりません。
浜の宮駅~尾上の松駅間で山陽電車を越えます。軍用道路のため踏切を避けようと築堤を作っています。現在も道路として使用されていますが、幅が狭く歩行者が歩くのはなかなか危険ではあります。
山陽電車との交差部。いかにも古そうな感じ。前方は山陽新幹線の高架。
その先、明姫幹線を越えて北に進むと別府鉄道廃線跡と交差します。別府鉄道の本数が少なかったためか立体交差にはなっていません。
新しい道路が出来て高射砲道路(右側)が無理やり取り付けられる形になっています。
おっと日が暮れてきました。東加古川駅~加古川駅間でJRも越えます。山陽電車と同じような築堤が作られています。
JRを越え加古川バイパスを潜れば見えて来る「ハリマ化成」。高射砲連隊(のち航空通信学校加古川教育隊)の土地は戦後このハリマ化成の工場となりました。
ハリマ化成正門。旧陸軍時代の門がそのまま残っています。敷地内にも陸軍時代の建物が残っているそうです。
とうとう日が暮れてしまいました。

加古川飛行場関連は以下のページへ。
【尾上の松】旧国鉄高砂線から分岐する未成線をたどる(前編)
【加古川】旧陸軍神野弾薬庫線を歩く・前編【廃線跡】
【加古川】旧陸軍神野弾薬庫線を歩く・後編【廃線跡】

作成にあたり加古川市ホームページを参考にしました。クリックにもご協力を!
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【加古川】旧陸軍神野弾薬庫線を歩く・後編【廃線跡】

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それでは後編を。→前編

現ハリマ化成(旧陸軍高射砲連隊)をかすめた軍用線は、北へ向きを変えます。

線路の向かう先にあるのは加古川刑務所(旧陸軍神野弾薬庫)。戦時下とあって用地はあくまで一直線になっていますね。

地元の地図。南が上だったのでひっくり返していますが、線路の跡がくっきりと描かれています。む~パパが立っている「現在地」ちょうどカーブの途中。

東播磨道の側道に無理にくっつけようとしたためか、少々不自然な道路形状となっていますが・・・。

その先は一直線に廃線跡が道路となって続いています。
行き着く先は加古川市立日岡山学校給食センター。以前は加古川刑務所敷地の一部だったのですが、この部分は使われておらず、戦時中の兵器庫や線路が2005年頃まで残っていました。と言っても塀の内側だけに見ることは出来なかったようで、取り壊す際に見ることが出来た人は相当幸運だったと思います。また一つ戦争遺跡が消えていったわけですが・・・。

少し戻って加古川野口郵便局付近。軍用線に並行して少し北側に架けられている「連隊橋」。言うまでもなく高射砲連隊のことと思われます。架橋は1938(昭和13)年。

連隊橋のたもとには軍人墓が建立されていました。

加古川の戦争遺跡。次は高射砲道路も歩いてみます。クリックにもご協力ください。
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【加古川】旧陸軍神野弾薬庫線を歩く・前編【廃線跡】

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JR加古川駅から分岐する加古川線。かつては山陽電車と馴染み深い高砂線も分岐していましたが、戦時中はもう1本、軍用線が分岐していました。現在は加古川刑務所となっている「神野弾薬庫」へ向かう路線です。今回はその跡地を探索してみましょう。

Google Mapにより確認。高砂線・軍用線ともはっきりと痕跡が残っているのが分かります。ともかく現地に行ってみました。

加古川線と軍用線が分岐する部分。加古川線は高架になっていますが、ここから右へ向かう道路が軍用線跡。緩やかなカーブがそのまま残っています。

住宅地の中を貫く軍用線跡。微妙なカーブと道路幅が線路跡であったことを物語ります。戦後70年以上経っても痕跡が残っているんですね。

道路をぷらぷら歩いていると、突然現れる解説板。戦争の記憶を後世に伝えることは大事なことです。

この先、軍用線は現在ハリマ化成となっている工場の敷地をかすめて北上します。この工場はかつて旧陸軍高射砲連隊があり、そこから尾上にあった飛行場まで物資運搬のための道路が通っていました。鉄道ではありませんでしたが現在でも「高射砲道路」「軍用道路」と呼ばれているそうです。

線路跡を歩いて行くと、加古川野口郵便局の脇に流れる用水路に架かる鉄橋(ガーダー橋)があります。全線を通じて現存する唯一の鉄道施設ですが、かさ上げされ道路化されているため非常に発見しづらい物件です。

こう見ると鉄道の築堤に見えなくもない・・・。

後編に続きます。

意外な戦争遺跡が加古川にはたくさん残っています。クリックにもご協力ください。
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【まもなく見納め】旧標準色の事始め【820形】

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今月で見納めとなる旧標準色の3030号。ファンのみなさまも徐々に盛り上がってきていることと思いますが、緊急事態宣言中のため昔の写真を引っ張り出してきました。

さて、この旧標準色はいつ始まったのでしょうか。一部のファンからは「阪神ジェットカーに似ている」との指摘もありますが、あのツートンカラーは1958(昭和33)年に登場したものです。山陽電車に登場したのは1948(昭和23)年ですから、10年も前ということになります。

当時のカラー写真が残されていないので模型で再現。1948(昭和23)年、日本は戦後の混乱期を脱出しつつありましたが、まだ電車は「乗れれば良い」時代にデビューしたのが820形(形式呼称は800形)。我が国では戦後初のロマンスカーで、しかも特別料金不要の車両としては破格の設備を誇りました。この車両で初採用されたのがネイビーブルーとイエロークリームのツートンカラーです。山陽電車にとっては戦後復興を象徴し新しい時代へ発展するテーマカラーとなりました。田舎電車から都市間高速鉄道へ脱皮したことを示すカラーリングだったのです。(模型提供:NEXT)

ここからは以前山陽電鉄にお勤めの方からご提供いただいた写真をご紹介します。商用利用はご遠慮ください。(ご利用の際は山陽電車までお問い合わせください。)

820形か、その改良型850形と思われる車内。扉間には転換クロスシートが並び、いかにも特急電車らしい風格です。これが戦争が終わって3年後に登場した車両。日本が急速に復興していったことを示しています。


姫路駅に停車する820形826-827。この編成は西代車庫の火災に遭い焼失、850形と同一の車体を新造したもので、前面のアンチクライマーが無く、屋根の通風器も850形と同じものでした。写真で台車が820形のものではなく、700形のDT-13Sを履いていることが分かりますが、これは西代で同時に焼失した712-713のものです。背景の山陽百貨店もまだかなり低く、撮影は1960年よりは前ではないかと思われます。

820形824-825。尾上の松~高砂間と思われます。正面窓のうち2枚は登場時横桟が入っていましたが、のちに1段となっています。同じ川崎車輌製の小田急や京阪のロマンスカーと共通する整ったデザインでファンからも人気がありました。写真は普通列車に運用中のもの。2000系登場後は主役を譲りロングシートに改造されました。

820形はのち850形と共に正面に貫通扉が取り付けられました。末期は270形と3両編成を組んで活躍。神戸高速鉄道にも乗り入れていました。写真で見るとパンタグラフが変わっていることが分かります。

820-821は廃車後もしばらく東二見車庫で保管されていましたが老朽化のため解体され、今は見ることが出来ません。(1982年7月)

旧標準色にもこうした歴史があります。クリックにもご協力ください。
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3032号に「LAST RUN」ヘッドマーク

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3000系で未更新のまま残る4編成のうち、このほど3032号の引退が決まり「LAST RUN」ヘッドマークを掲出して走っています。

今回デザインが変わり、シンプルな色使いになりました。(提供:山陽電気鉄道)

む~パパ、撮影に出動したかったのですが日程が合わず、代理でむ~さんを撮影に派遣しました。今回は全編む~さん取材・撮影となります。

最初にやって来たのは有名撮影地スマシオ(須磨浦公園~山陽塩屋間)。ただ、ここは午前の早い時間帯でないと順光にならないので注意が必要です。む~さん、地下鉄撮ってから来たそうで「逆光やった」。そらそうでしょ。

次にやって来たのはここも有名な滝の茶屋駅。3032号は長らく姫路寄りに3616号を連結していましたが、3022号と交換し3611号をパートナーとしています。3600形は電動車より先行して製造された車両が多いため、おおむね1年程度電動車より年上です。

どうやらむ~さん、舞子公園駅へ先回りしたようで・・・。む~パパ、下回りが隠れるのでここで撮ることはほとんどないのです・・・。

次に来たのは白浜の宮駅~妻鹿駅間。妻鹿トンネル西方です。

この日最後の運用。折り返し東二見行き普通列車を別府駅で。

東二見駅到着後、車庫へ入庫する3032号。

活躍するのも9月30日限り。また1編成、3000系が消えていきます。
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【異端車】8523号 直通特急運用開始

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阪神8000系のうち、長らく直通特急運用に入らず須磨浦公園駅までの乗り入れに留まっていた8523号が2月1日より山陽姫路まで顔を出すようになりました。8523号は元々8000系の第1編成8201号と8223号の2編成だったものが、阪神大震災で被災し生き残った5両と、震災後に新製された1両を合わせて6両編成としたもので、前3両と後3両で全く違ったスタイルをしている特異な編成です。

この6両、下図のような組み合わせで出来ています。灰色に塗った車両が震災で廃車となったもの。


大阪寄り8523号。ごく普通の8000系ですが、先頭車8523号は廃車となった8223号の代替として震災後に新造されたものです。(2020.2.24 藤江~中八木間)

こちらは姫路寄り8502号。大阪寄りとは全く異なる「昔の阪神電車」の顔をしています。元は大阪寄り8201号で、向きを姫路寄りに変え機器配置を変更し8502号に改番したものです。(2020.2.24 別府)

8123号と8102号の連結部。そもそも屋根高さが異なりますが、窓の形が大きく異なるのがお分かりいただけると思います。

須磨浦公園までの乗り入れだった頃。まだヘッドライトは電球式です。(2017.4.29 須磨~須磨浦公園間)

上写真の数か月後、前照灯がLED化されているのを確認しました。(2017.9.30 香櫨園~打出間)
この編成は3・4号車の2両がクロスシートを装備。4号車8102号は「昔の阪神電車+クロスシート」の組み合わせとしては1両のみの貴重な存在。是非ご乗車されることをおススメします。(2018.3.31  山陽須磨)

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【尾上の松】旧国鉄高砂線から分岐する未成線をたどる(後編)

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前回、尾上の松駅東側で加古川飛行場に分岐する未成線を歩きましたが、西側にもう一つ未成線用地があります。神戸製鋼加古川製鉄所へ至る専用線で、高砂線から分岐する予定でした。これは戦時中の遺跡ではなく、戦後になってから建設されたものだそうです。

右が山陽電車。緑のフェンスの向こうへ山陽電車に沿って続くのが旧国鉄高砂線跡。左へ分かれて行くのが専用線の用地。廃線跡から未成線が分岐するシュールな風景です。

最初の写真に写っている歩道橋から。山陽電車と高砂線の廃線跡が並行しているのがよく分かります。(2019.4.6撮影。フェンス越しに撮ったので画面に黒い部分があります。)

公園の中をカーブしながら線路用地が続きます。フェンスで囲まれていますが、中も花壇になっているようです。奥が山陽電車。

コンクリートで仕切られた部分(自動車が止めてあるところ)が線路用地です。山陽電車から離れていきます。

畑になっている部分や・・・、

駐車場になっている部分もありますが、加古川の堤防に沿うように曲がっていく線路用地。

ついに堤防の側道に合流。

同じ場所を反対側(南側)から。一段高い側道に飲み込まれてしまいました。

線路用地がはっきり分かるのはここまで。加古川の堤防に沿って南下したものと思われますが・・・。写真奥、側道を跨いでいるのは加古川を渡る相生橋です。

Googleマップより。赤い線が山陽電車、黄色い線が国鉄高砂線跡。青い線が未成線。点線のように伸びていたものと予想されます。

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