楽しいむ〜さん一家

【阪神電車】尼崎海岸線と金魚鉢(番外編)

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あけましておめでとうございます。新年最初は「阪神電車」から!

む~パパが昔からお世話になっている板宿の鉄道模型バー「日乃電」のマスターから、先日の「尼崎海岸線を歩く(その1)(その2)」の記事に対し、この尼崎海岸線が走っていた当時の非常に貴重な写真をご紹介いただきました。
これが当時の出屋敷駅。左から2本が本線、右の「出屋敷⇔高洲」の行先を掲げているのが海岸線の電車です。本線左側の801形や、中央のステンレス車体で人気のあった5201形ジェットシルバー(5201-5202号)もかなり目を引きますが、海岸線に使われている車両が国道線の路面電車であることもなかなか興味深いです。海岸線は元々は本線の車両(701形)が使用されていたそうですが、車両大型化の進展で先に廃車となってしまい、国道線の路面電車71形にパンタグラフを取り付けて使用していたとのこと。
※この写真は日乃電さま参加のイベントに来られたお客さま(氏名不詳)から提供されたもので、日乃電さまからは使用許可をいただいていますが、著作権上問題があるようでしたら、コメント欄からご連絡をいただければと思います。
再掲となりますが上の写真の同一箇所(現在)です。あまりに変わってしまい、昔の姿を想像すらできません。

さて、この路線でも使われていた路面電車の車両ですが、ファンからは「金魚鉢」と呼ばれ親しまれていました。今でも尼崎市内に2両が保存されており特徴あるその姿を見ることができます。(この他にも保存車はあるようですが非公開です。)
水明公園に保存されている阪神71形のトップナンバー71号。1937(昭和12)年に製造されたもので、各部が曲線で構成された車体と非常に大きな窓が特徴的です。同時代の近代建築と共通するデザイン思想を持つ産業遺産であり、日本を代表する路面電車車両の一つと言えます。
トップナンバー「71」の車番部分。
雨どいを省略し限界まで上に広げた側窓。昭和初期のモダニズムを強く感じます。
こちらは蓬川公園に保存される74号。71号と同じく公園の施設として利用されており、状態も同じような感じです。利用されているためか荒廃しているわけでもなく、廃止後47年を経ているわりには良い状態だと思います。


水明公園(71号保存)


蓬川公園(74号保存)

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【阪神電車】尼崎海岸線と金魚鉢(番外編)” への15件のコメント

  1. 出屋敷駅に並ぶ801形と5201形、71形の写真は結構有名ですね。71形は前面に併用軌道用のビューゲル、その後ろに新設軌道用のパンタグラフが見えます。

    71形の両側のホームの高さに注目してください。画面右の方が低くなっているのがわかりますか? 国道線など併用軌道でも浜甲子園、甲子園そして野田の各駅(休止になる前の中津濱、高砂も)にはホームがありましたが、併用軌道で使われる車両は床がフラットなものの新設軌道の車両より低かったのでホームもそれに合わせて低いものでした。

    記事に書いておられるように尼崎海岸線にはもともと701形など本線系の車両が使われていたので、71形を投入するにあたって、このホームも低くされたものと思われます。したがって尼崎海岸線への乗降にも右のホームだけを使っていたのでしょう。

    書籍には終点時代の高洲駅のホームや武庫川線武庫川駅の写真も載っているのですが、著作権の関係かインターネットでは検索をかけても出てきません。やっと見つけた1枚です
    https://www.kobe-photo.jp/?pid=141726692

    武庫川駅のホームが停車している71形の部分だけ欠き取られて低くなっているのがわかります。

    こちらは3301形時代の武庫川駅。ホームが埋め戻されています(その部分だけ色が違う)
    https://takurika54.exblog.jp/18863005/

    • Fernwehさま コメントありがとうございます。
      軌道線車両を投入するにあたりホームを低くしたのは、当面鉄道線車両は入れないという判断だったのだろうと思います。架線電圧も同じで問題無かったのでしょう。

  2. とにかく車両のやりくりがつかなかったのかもしれません。

    尼崎海岸線は第二阪神国道との関連でおそらく遠からず廃止という考えが社内にあったのかもしれません。でも武庫川線は71形が国道線に引き上げたあと再度小型車(1121号も使ったようですが、主に廃車間近の851形など小型車の中でも急行系)を走らせています。

    架線電圧はおそらく重要な要因で、普通ならまだ武庫川線や伝法線(小型車なり国道線車両の1両で十分まかなえた)で延命できた小型車を急いで廃車したのは1967年の昇圧とATS装備で無駄な出費をさけたのではないでしょうか。

    • Fernwehさま ご教示ありがとうございます。
      武庫川線の851形は写真見たことありますね。先日まで急行系も入ってましたし、とりあえず使える車両を入れているのでしょうね。阪急・阪神の昇圧で山陽電車側も複電圧車を用意せずに済んだということもありますし。

      71のほうは単なる尾灯のようですね。74は本線回送のため白灯も出せる標識灯になっているようで、ガイコツ型ですね。

  3. 閑散な支線とはいえ新設軌道線を走ったことがある藻川公園の74号と入線したことがない水明公園の71号の違いにお気づきでしょうか?

    尾灯を良く見てください。

  4. 71形は最初ビューゲルを1丁増備して尾灯は窓下「腰」の部分に2基取り付けて武庫川線に入っています。その後尾灯の位置を窓上「おでこ」に移し、大阪側のビューゲルを取り外してパンタグラフに換えています。

    連結器は武庫川線は終日1両の運用だったので尼崎海岸線にも入るようになってから取り付けた(復活)のでしょう。
    http://nurudean.cocolog-nifty.com/katsuki/2014/06/post-6e9b.html
    こちらは国道線に復帰直後だと思いますが、武庫大橋を渡る「本線仕様」の71形(車番不明)です。おでこ2灯、パンタグラフもまだついています。

    パンタグラフは撤去したもののまだおでこ2灯、連結器も残っている76号は昭和42年のものとする写真が形式集.3の94ページに載っています。

    • ブログ拝見しました。確かに標識灯2灯がおでこに付いていますね。車両は検査の都合もありますし、担当者のこだわりも強く出るところですから、しばらくそのままというケースもままありますよ。

  5. 併用軌道71形が走る以前の本線系旧小型車が尼崎海岸線を走る写真は今は第二阪神国道になった運河を渡る701形の写真(形式集.2 98ページほか)くらいしかありませんが、探せばあるものでこちらは出屋敷駅に停車中の701形708号です
    https://www.kobe-photo.jp/?pid=141726698

    行先表示板ではなく字幕を使っているようですね。あるいは単純に線内を往復するだけなので無表示なのかもしれません。神戸高速鉄道が開通する以前の本線の普通も表示がありませんでした。

    既に尾灯が二灯化されているので昭和27年/1952年以降の撮影でしょう。

    • なるほど、写真もあるものですね。尾灯はアメリカの影響で2灯になったように記憶しますが、進駐軍の指示でしたっけ・・・。

  6. サンフランシスコ講和条約が1951年9月8日調印、1952年4月28日発効ですので、アメリカ占領軍の指示というのは微妙ですね…

    行く先表示板ですが、形式集.2 98ページの702号もつけていませんね。方向幕も既に使われていないようです。

    同じ尼崎海岸線でも71形は「出屋敷 高洲」の表示板をつけて走っています。

    • Fernwehさま コメントありがとうございます。
      日本の鉄道では戦前は尾灯1つなのに対し戦後2つになったことから、それがGHQの指示だとする文章が見られます。単に、追突等戦後混乱期の事故多発への対策として2灯化されたということなのかも知れませんね。片方が切れても大丈夫なように・・・。方向幕は当時のことですから本当に「幕」で、現在のようなフィルムではなかったため、追加も難しくメンテナンスを考えると板のほうが良かったのかも知れませんね。

      • 尾灯が切れるのは困りますね。

        大阪や神戸の隧道内で赤信号で停車する時は用心のために最後尾の車両は尾灯どころか前照灯も点灯してますね。

        今はどうか知りませんが、阪急の神戸線は昔終電が最後尾の前照灯を灯らせて走っていました。若いころは良く夜更かししたものです…

        さらに前照灯ネタでひっぱりますが、昔は電球でしたので国道線などは良く前照灯が切れたまま走っていました。1時間に一回走るかどうかの電車見たさに近所の停留所まで見に行ったのですが、そんな時たまたま電球が切れている電車が来たら運転手さんに教えてました。教えられても浜田まではどうすることもできなかったでしょうに。

        • 後方防護の際は後部も前照灯を点灯させることになっています。通常運行時、現在ではATSがありシステム的に中に入れないので、閉そく信号や場内信号によるトンネル内停止で後部の前照灯を点けることはありません。軌道の場合はどうか分かりませんが、夜間に前部標識は必要ですので懐中電灯でも光らせておけば良いと聞いたことはあります。

    • mymyさま コメントありがとうございます。
      出屋敷駅到着直前のものですね。あまり出回っていない写真のように見受けられます。今まで雑誌に出ていない写真の中にもこういう貴重なものが結構あるのではないかと思いますが、全てを資料として収集するのは難しいでしょうね・・・。

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