楽しいむ〜さん一家

【Nゲージ】5030系鉄道模型 第3弾発売!

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グリーンマックスのNゲージ鉄道模型で発売されている山陽電車5030系。このほど第3弾が発売されました‼

6両編成セットでの発売。定価30,200円(税別)。

左から第1弾・第2弾・第3弾。今までは5630号でしたが、今回は第2編成の5632号が選ばれています。ちなみに3回発売分の仕様の違いですが、
第1弾 5630号 新シンボルマーク 標識灯:白 パンタ鍵外し配管無し
第2弾 5630号 旧シンボルマーク 標識灯:緑 パンタ鍵外し配管付き
第3弾 5632号 新シンボルマーク 標識灯:緑 パンタ鍵外し配管付き
つまり番号違いで2編成揃えるとすれば、パンタ鍵外し配管の有無では旧シンボルマークが無く、新旧シンボルマークを揃えると白い標識灯が手に入らないという絶妙の組み合わせなのです。

細かいことですが、今回の5632号の方向幕は板宿~阪神神戸三宮間各駅停車の「黄色い」直通特急となっています。行先はいずれも「阪神梅田」。山陽電車としては「姫路」行きにしてほしいところではありますが・・・。ちなみに今回は標識灯が緑色の旧タイプとなっています。

実物はこんな感じですね。

2列×1列のクロスシートも忠実に再現。クリーム色の枕カバーが欲しいところ・・・。



今回の製品(右)はパンタ鍵外し配管が付いている姿を再現しています。微妙な違いがマニアック過ぎて、もはやファンが置いてきぼりになっているかも・・・。(付属品のヒューズボックスを取り付ける前の状態です。)

以前発売されたマイクロエース製3050系アルミカーと並べてみました。山陽電車の完成模型が全国の模型店で買えるようになるとは、本当に夢のようです。む~パパ、梅田の阪急百貨店で、山陽電車の模型がうやうやしくショーウインドウに飾られているのを見て、感動のあまり思わず涙が(笑)。

Nゲージサイズの完成模型として最初に発売されたのは、実は山陽バスなのです。山陽バスは間もなく現行エルガの発売が予定されており、山陽電車・山陽バスともに模型化される、ファンにとって大変喜ばしい状況となりました。

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【加悦SL広場】阪神間を初めて走った蒸機機関車が残る

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昨年は日本の鉄道ファンにとってショッキングな出来事の多い年でした。日本の各地に保存されていた歴史的に貴重な鉄道車両が、老朽化や資金難で維持できなくなり、次々にスクラップとなったのです。明治時代からの貴重な車両を保存してきた加悦(かや)SL広場(京都府与謝野町)も例外ではなく、今年3月末での閉園が報じられ大騒ぎとなっています。む~パパ、今回訪問の機会を得て、沿線外ではありますが取材を敢行しました。
(山陽電車との関係は・・・、実は結構あるんですよ~。)

加悦SL広場正面。1985年に廃止となった加悦鉄道の加悦駅を模した外観です。

歴史的に貴重な車両が27両(うち11両が動態)保存されています。基本的に加悦鉄道に関係の深い車両か、地元福知山に関係のある国鉄車両などが大半です。

この中に「2」号蒸気機関車があります。

屋根のかかったホームに鎮座する「2」号蒸気機関車。旧国鉄123号ですが、1873(明治6)年、大阪~神戸間の鉄道開業用にイギリスで製造されたものなのです。

国鉄から島根の私鉄を経由して、1926(大正15)年に加悦鉄道開業用にやって来たそうです。

いかにも明治の、そしてイギリスの機関車って感じがしますよね!(む~パパだけ?)
日本で初めて鉄道が開業したのは1872(明治5)年。新橋~横浜間でした。大阪~神戸間に鉄道が開業したのは京浜間に遅れること2年、1874(明治7)年のこと。その時最初に用意された4両の蒸気機関車のうちの1両がこの「2」なのです。現在は走ることができませんが、さすがに貴重な存在で国指定の重要文化財となっています。

この「2」を含む4両はいずれも神戸に配属されたそうです。

現在、東二見車両工場に舞子公園~西舞子間のJR線を跨いでいた鉄橋の一部が保存されていますが、この鉄橋はそもそも大阪~向日町間に初めて鉄道が通った1876(明治9)年に神崎川に架けられたものを山陽電車が譲り受けたという話ですから、もちろんこの機関車も渡っていたんですよね。

山陽電車との関係は、ややこじつけ気味の無理がありますが、ここ関西で初めて走った鉄道車両として一見の価値はあると思います。公表されている範囲では3月末で閉園とされていますので、今のうちに見ておかれるほうが良いと思います。

もちろん鉄橋も取材予定。クリックにもご協力を!
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【尾上の松】旧国鉄高砂線から分岐する未成線をたどる(後編)

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前回、尾上の松駅東側で加古川飛行場に分岐する未成線を歩きましたが、西側にもう一つ未成線用地があります。神戸製鋼加古川製鉄所へ至る専用線で、高砂線から分岐する予定でした。これは戦時中の遺跡ではなく、戦後になってから建設されたものだそうです。

右が山陽電車。緑のフェンスの向こうへ山陽電車に沿って続くのが旧国鉄高砂線跡。左へ分かれて行くのが専用線の用地。廃線跡から未成線が分岐するシュールな風景です。

最初の写真に写っている歩道橋から。山陽電車と高砂線の廃線跡が並行しているのがよく分かります。(2019.4.6撮影。フェンス越しに撮ったので画面に黒い部分があります。)

公園の中をカーブしながら線路用地が続きます。フェンスで囲まれていますが、中も花壇になっているようです。奥が山陽電車。

コンクリートで仕切られた部分(自動車が止めてあるところ)が線路用地です。山陽電車から離れていきます。

畑になっている部分や・・・、

駐車場になっている部分もありますが、加古川の堤防に沿うように曲がっていく線路用地。

ついに堤防の側道に合流。

同じ場所を反対側(南側)から。一段高い側道に飲み込まれてしまいました。

線路用地がはっきり分かるのはここまで。加古川の堤防に沿って南下したものと思われますが・・・。写真奥、側道を跨いでいるのは加古川を渡る相生橋です。

Googleマップより。赤い線が山陽電車、黄色い線が国鉄高砂線跡。青い線が未成線。点線のように伸びていたものと予想されます。

本当はどこを通って製鉄所へ向かう予定だったのでしょうか?クリックにもご協力を!
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【尾上の松】旧国鉄高砂線から分岐する未成線をたどる(前編)

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2013年「せっつ・はりま歴史さんぽ」のコーナーで紹介された加古川飛行場ですが、旧高砂線から飛行場へ向かう未成線に焦点を当てご紹介します。すでにあれから7年、風景はどのようになっているのでしょうか?

降り立ったのは尾上の松駅。3000系ラストナンバー3078号、ここ最近は懐かしい登場時の3両編成に戻って頑張っています。

エレベーターも完成し面目を一新した尾上の松駅ですが、駅舎は元のままでどこか懐かしい雰囲気を漂わせています。

駅を出て少し東へ行くと山陽電車は築堤に上がり、並行する道路が下をくぐっています。この道路は国鉄高砂線の廃線跡。その昔山陽電車尾上の松駅が築堤の上にあり、下には国鉄尾上駅がありました。

この廃線跡から分岐するのが加古川飛行場へ向かう(予定だった)引き込み線用地。線路が敷かれることはなく、未成線のまま現在に残されています。山陽電車の車窓からもよく見えますのでご存じの方も多いでしょう。

住宅地を突っ切る線路用地。フェンスで囲まれ立入り出来ませんが、何かに使われているというわけでもないようです。

用地は県道718号線を越えたところで少しだけ道路に転用されていますが、写真奥に見えるように何か公園のような土地に吸い込まれます。

未成線なのにいかにも「線路柵」という感じの場所がありました。

というわけで、とうとう行き止まり。

フェンスの向こうは加古川飛行場の跡地で、現在はオーミケンシ(株)加古川工場となっています。さすがにこの先どうなっているのか分かりませんでした。
Googleマップより。赤い線が山陽電車、黄色い線が国鉄高砂線跡。そして青い線が引き込み線用地です。

7年前とそんなに変わっていないように思います。クリックにもご協力を!
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【藤江】明石競馬場の痕跡をたどる。

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「明石競馬場」山陽電車の藤江駅北側にかつて存在した競馬場です。Wikipediaによると「1927(昭和2)年に1周1000mの馬場を擁する競馬場を設置した。」とあり、「土地・建物は山陽電気鉄道の所有で、藤江駅の前に競馬場があったこともあってか来場者が多く、開催成績は良好であった。」そうですが、1938(昭和13)年、競馬場は園田に集約され廃止されました。しかし、多くのサイトで記載されていますが「現在でも道路の形状などに、競馬場があった頃の名残をとどめている。」そうなので、さっそくむ~パパ、取材してきました。

藤江駅。元々は現在地より東にありました。現在の駅は競馬場が存在した時代に臨時駅として開設されたものだったとか。

Googleマップより。藤江駅北側、藤が丘地区の航空写真。しばらく眺めていると浮かび上がってきませんか?

こんな形で現在も道路の一部がコースあるいは敷地の形で残っています。

上図の右側。道路がカーブしています。

コースが明姫幹線と接する部分。旧コースのカーブ部分が優先し、歩道が途切れています。

東側のカーブは比較的はっきり残っていますが、西側は痕跡を見つけることは出来ません。しかし、1か所だけコースの名残を留めるカーブがあります。

さらにその先はこんな細い道に。

コースを1周して元の場所に戻って来ました。

馬小屋が火事になって死んだ馬が祀られているという石塔があるそうですが、この日は訪れるのを忘れていました・・・。

痕跡が残っていることは知りませんでした。クリックにもご協力を!
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