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【さようなら】3004号の50年

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5月31日限りで引退した3004号。1967(昭和42)年に登場してから半世紀に渡って活躍しました。今回はその歩みを少し振り返ってみましょう。

新設間もない東二見車庫で並ぶ3004号と3006号。1967(昭和42)年4月に新製され車庫に搬入された直後と思われます。2次車である3020号までは当初前面に方向幕が付いておらず、貫通扉の中央に車番が付いていました。まさにピカピカの新車状態ですね。

今は無き兵庫駅に到着する3004号の特急です。当時は西代から兵庫(現在のJR兵庫駅北側)までは写真のように路面を走っていました。3000系鋼製車が道路上を走っていたのは1年余り。関西でこのような風景が残っているのは滋賀県の大津市内くらいでしょうか。電車と同じ方向に走るタクシーは130型セドリック。初代サンバーやゼニブルこと410型ブルーバード、向かいの車庫にはクラウンMS41の姿も見えますね。

それから約10年。1978(昭和53)年1月、塩屋~滝の茶屋間を走る3004号(写真:雄岳急行さまご提供)。1968(昭和43)年、3004号は3号車として3502号を組み込み4両編成となりました。方向幕、車外スピーカーが取り付けられ、ほぼ現在見られるスタイルになっていますが、まだ冷房はありません。写真を見ると3号車から誰かが顔を出していますね。現在側窓は下段が固定されており、このような芸当は出来ません。

これが冷房改造後の姿。まだ地上時代の東須磨~板宿間を走る3004号です。ヘッドライトケースが更新され内部が銀色になっています。これは恐らく冷房化と同時に施工されたものと思われます。撮影は1988年頃。

現塗装となり3両編成化された3004号。これが最後の姿となりました。(林崎松江海岸~藤江間 2014年4月)

3004号。長い間お疲れさまでした。クリックにもご協力を。
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【さようなら】3004号の50年” への4件のコメント

  1. 阪急六甲駅で初めて見かけたのは、五歳の時でした。あの時は165系の横須賀線塗装と思っていました。東京に引っ越しても山陽電鉄=3000系です。50年間お疲れ様でした。そして自分に鉄道ファンになるきっかけを作ってくれてありがとう。

    • 東京の山陽電鉄ファンさま コメントありがとうございます。横須賀線塗装と思われたとのこと、前面の青いマスクのような塗り分けがそう思わせたのでしょうね。国鉄型の高運転台の車両デザインをそのまま使った車両は私鉄では珍しいものですね。3000系自体はまだまだ残りますので、機会があればご訪問いただければと思います。

  2. 昔は側窓は中段ぐらいまで、あがっていましたね。妹が顔を出して、顔が抜けないと泣いていました。懐かしい遠い記憶がよみがえりました。

    • トンさま コメントありがとうございます。
      下段はその後固定され保護棒も撤去されましたが、当時はそんなこともあったのですね。この写真、撮影された方にとっては人が顔を出して邪魔だったかも知れませんが、懐かしい記憶をよみがえらせる一助であれば幸いです。

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