三つの「湯沢山茶くれん寺」(後編) 八幡市橋本


こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
引き続き、関西の「湯沢山茶くれん寺」の通称をもつ寺院を巡っていきます。

京阪電車橋本駅

到着したのは石清水八幡宮のある男山のふもとの京阪電車橋本駅
姫路の法輪寺からスタートした「湯沢山茶くれん寺」を巡る旅、随分遠いところまで来たものです。

橋本渡舟場の道標

駅前には「橋本渡舟場三丁」と書かれた石碑がありました。
昭和の中ごろまでここ橋本と淀川の対岸を結んでいた渡し舟の道標です。
下のほうには山崎停車場、長岡、粟生など淀川右岸の地名が刻まれています。

「湯澤山茶久蓮寺跡」碑

これだけでも興味深い道標ですが、これを回り込んでみるとなんと「湯澤山茶久蓮寺跡」の文字が。
ここが三つ目の「湯沢山茶くれん寺」があった場所とされているのです。
この「湯澤山茶久蓮寺」という通称をもつ寺院は常徳寺という古い曹洞宗の寺院で、秀吉の寄与を受けて発展したそうですが、江戸時代の文化10(1813)年に焼失してしまいました。現在、寺の敷地の大半は京阪電車の線路用地になっているようで、痕跡はほとんどありません。

常徳寺に伝わっていたとされる話では、天正10(1582)年、山崎の合戦の際に秀吉がこの寺を訪れ、茶を所望しました。茶人として有名だった秀吉に自分の未熟な茶を出すことを恥じた住職は白湯を出します。初めは怪訝に思っていた秀吉ですが、住職に考えに気づき、「湯澤山茶久蓮寺」の寺号を与えたと言われています。時期や背景は異なりますが、浄土院に伝わる話に似ていますね。

西遊寺

駅前には西遊寺という寺院が。
こちらは行基が創建した橋本寺を起源とする非常に古い歴史を持った寺院です。ちなみに、「湯澤山茶久蓮寺」という寺号を与えられたのはこの西遊寺であるという説もあるようです。

橋本の街並み

駅の西側には橋本の町が広がっています。
橋本は京街道の宿場で、幕末には江戸幕府の陣屋も設けられるなど非常に繁栄した町でした。しかし、陣屋があったために幕末の鳥羽伏見の戦いに巻き込まれることになり、町の大半は失われてしまいました。現在の建物の多くは明治以降に再興されたものですが、風情ある街並みが残っています。

淀川を望む

街外れの堤防を上がると、淀川を眺めることができました。
ここの地名は「橋本」というわりに、上流は八幡市、下流は枚方市まで橋がありません。 地名の由来は奈良時代の神亀2(725)年に行基が架けた山崎橋とされていますが、後に洪水で流されてしまいました。代替手段として開設されたのが駅前の道標にあった渡し舟です。この渡し舟はなんと昭和37(1962)年まで運行されていたとのこと。今も残っていたら乗ってみたかったところですね。

この対岸は秀吉が本能寺の変の後に明智光秀と戦った山崎の合戦の舞台の天王山です。
秀吉の大躍進のチャンスとなった戦いの地を眺めながら、「湯沢山茶くれん寺」を巡る旅を終えることにしました。

これら三つの「湯沢山茶くれん寺」、何か大本になる話があってそこから各地の伝承が生まれていったのだろうと思うのですが、どれが本家なのかは今となってはわかりません(秀吉が各地で「湯沢山茶くれん寺」という寺号を与えまくったということも考えられなくもありませんが)。ただ、巡っていく旅の中で、厳しい戦いの最中でもユーモアあふれる秀吉という人物を感じることができました。
何だかマニアックな道中となってしまいましたが、ご興味のある方、是非いかがでしょうか。

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