薬の街・道修町を歩いて(後編)


こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、大阪・船場の道修町を歩いてみたいと思います。

道修町

道修町に建ち並ぶ製薬会社には様々な資料が展示されています。
この街が現在のような薬の街になったのは江戸時代の初めの寛永年間に堺の商人の小西吉右衛門なる人物が薬種問屋を開いたことが始まりとされ、享保7(1722)年には当時の将軍・吉宗が薬種問屋を株仲間として特権を与え、さらに薬の街として発展していきます。政治・経済の中心が東京に集中した今も、大阪や関西に本社を置く製薬会社が多いのは、道修町があったからなのかもしれませんね。

神農さん

道修町を歩いていると、一角のビルに「神農さん」という文字とともに張り子の虎のイラストの描かれた看板がありました。

少彦名神社

こちらのビルにあるのは少彦名神社です。

少彦名神社は少彦名命(すくなひこなのみこと)と神農炎帝(しんのうえんてい)を祀る神社です。少彦名命は日本、神農炎帝は中国の神ですが、いずれも医薬の神とされています。先ほどのビルの看板の「神農さん」は神農炎帝にちなんだ通称ですね。道修町に医薬の神を祀る社が建てられたのは江戸時代の安永9(1780)年のことで、当時、既に薬の街となっていたこの地に、やはり医薬の神の京都・五條天神社より少彦名命を勧請したのが始まりです。

少彦名神社の境内

ビルの合間に社がありました。広くはありませんが、香の匂いが漂い、どこか厳かな気分になります。

神農祭

少彦名神社では毎年11月22・23日に例大祭の「神農祭」が執り行われています。この祭礼の始まりは江戸時代の終わりの文政5(1822)年のこと。当時流行していたコレラに対し、道修町の薬種商が「虎頭殺鬼雄黄圓」という丸薬を作り、お守りの張り子の虎とともに神前で祈願したうえで施したことが始まりとされています。現在は丸薬の配布は行われていませんが、張り子の虎は現在も神農祭のお守りとして、授与されています。

旧小西家住宅資料館

少彦名神社から堺筋を挟んだ向こうに和風建築が佇んでいました。こちらは旧小西家住宅資料館で、コニシの本社として使われていた建物でした。現在は接着剤で知られるコニシですが、もとは道修町の薬種商として発展した会社でした。大阪の都心にあり、変わりゆく街並みに佇む和風建築は、近世・近代の道修町の風情を今に伝えるようです。

まだまだ油断はできない状況ですが、気候の良い時期になりお出かけ気分が盛り上がってきましたね。お天気の良い日には、少し遠くの街を歩いてみてはいかがでしょうか。なお、電車バスをご利用の際は感染症対策にご協力ください。

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