こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、坂越を歩いてみたいと思います。
妙道寺
坂越の街中にあったのは妙道寺です。
妙道寺は享禄5(1532)年の創建と伝わる寺院で、本尊の阿弥陀如来像は江戸時代に高砂沖の海中から引き揚げられたものと伝わっています。現在の建物は江戸時代に建てられたもので、この頃、坂越は北前船の寄港地として大いに栄えていたそうです。
坂越大道
寺の前の道は「坂越大道」と言われ、うだつの町並みが続いています。この景色からも、坂越が非常に栄えた港町だったことがわかりますね。
天然の良港だった坂越ははるか古代から瀬戸内海航路の寄港地として栄えていました。平安時代には空海や菅原道真もこの地に寄港したと伝わっています。そんな坂越がさらに栄えたのは江戸時代に入ってから。東北・北陸から大坂と江戸を関門海峡と瀬戸内海を経由して結ぶ西廻り航路の寄港地になったことでした。江戸時代初めの元禄4(1691) 年には人口は2千人を超え、大型廻船を31艘も持つ廻船業の街として発展することとなりました。
旧坂越浦会所
町中には旧坂越浦会所がありました。坂越の西端に位置するこちらは江戸時代に坂越の行政を担う役所として設けられたもので、現在は資料館として使用されています。
坂越の街並み
海沿いには緩くカーブを描いた坂越の街並みが続いています。
次回はもう少し坂越を歩いてみたいと思います。
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