せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

伊丹郷を訪ねて(中編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、伊丹を歩いてみたいと思います。

有岡城跡の碑

JR伊丹駅付近まで歩くと「有岡城跡」の碑がありました。

有岡城跡

石碑の向こうには石垣があり、まさに城の雰囲気ですね。

有岡城は「伊丹城」とも言われています。築城は南北朝時代とされていて、この地を治めていた伊丹氏によるものでした。この伊丹氏の伊丹城は天正2(1574)年に当時の城主・伊丹親興が反信長の勢力についたために、信長の配下の荒木村重の攻撃を受けて落城し、荒木村重の有岡城として改築されます。

有岡城の本丸跡

本丸跡として整備されている範囲はあまり大きくはなく、駅前にも関わらずどこかひっそりとしていました。

荒木村重は伊丹氏の城を改修し、総構えを持つ大規模な城郭として整備していきました。伊丹には城だけでなく、城下町が広がるようになり、中世都市として発展していきます。しかし、荒木村重は織田信長に謀反を起こし、伊丹は信長の軍勢の猛攻撃を受けました。荒木村重の整備した総構えは信長軍の攻撃に耐えましたが、荒木村重は尼崎へと逃走。1年以上の籠城戦の末の天正7(1579)年に落城しました。戦いの後は池田輝政の兄の池田之助が城主を務めましたが、程なく廃城となりました。

本丸を眺める

有岡城の本丸を眺めてみました。本丸を取り囲む草地は堀の跡だそうです。

城下町としての伊丹は中世で途切れてしまいますが、後に伊丹は近衛家の所領となり、近衛家の庇護の元に酒造業が発展。かつての城下町は酒の街になっていきました。

中世の城下町から酒の街になった伊丹。次回はもう少し時代を遡りながら伊丹を歩いてみたいと思います。

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