せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

揖保川のほとりの城下町・龍野を歩いて(肆)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
これまでに続いて、龍野を歩いてみたいと思います。
四回目の今回で、龍野を巡る旅は終わりです。

龍野城隅櫓

本丸を降り、城下に出ると立派な櫓がそびえていました。こちらは隅櫓です。明治以降に龍野城の本丸は失われてしまいましたが、こうして櫓や城門は残されています。

龍野神社

城下町の外れに神社がありました。こちらは龍野神社です。神社の始まりは幕末の文化8(1811)年に祠を築いたことで、後の文久2(1862)年に江戸の脇坂家の藩屋敷の祠を移して神社となりました。余談ですが、この汐留の藩屋敷の跡地は後に開業した日本初の鉄道の新橋駅の用地となりました。

聚遠亭

龍野神社の近くにあったのが聚遠亭です。

聚遠亭は脇坂家の上屋敷跡に設けられた庭園で、紅葉の名所としても知られています。園内にある茶室は池に浮かぶような姿ですが、こちらは幕末の安政期に当時の藩主・脇坂安宅が京都所司代を務めていて、炎上した御所の復興の功績として当時の孝明天皇から賜った茶室を移築したものとされています。もともとはこの茶室が眺めの良さから「聚遠亭」と呼ばれていましたが、今は庭園全体が「聚遠亭」とされています。

再び龍野城へ

再び龍野城に戻り、埋門から城下町を見下ろしてみました。

揖保川のほとりの城下町・龍野。川の水運を活かした物資の集散地であったことが素麺や醤油といった産業を生み出し、龍野藩の政策がそうした産業を育み、今の産業都市へと発展させました。全国に知られる産業の中心で、文化の息づく城下町は一日では足りないくらいの見どころがあります。4回に渡って龍野を歩いてみました。世の中はまた厳しい状況となってきましたが、こんな時期だからこそ、近場の播州で秋を楽しんでみてはいかがでしょうか。

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