せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

異人館と港・網干を訪ねて(後編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、網干を歩いてみたいと思います。

旧網干銀行

網干の市街地で目立つのが、緑色のドーム屋根が印象的なこちらの建物です。
こちらはかつての網干銀行網干町支店です。

揖保川の舟運と瀬戸内海航路の結節点だった網干は古くから港町として栄えていました。物資の集散地として栄えたことを背景に、網干銀行が創業したのは明治時代のことで、この建物が建てられたのは大正11(1922)年のことでした。昭和に入り網干銀行が三十八銀行(後に合併して神戸銀行)に合併されるまで、本店級の扱いでしたが、戦後に店舗が山陽網干駅前に移転し、その後は商店として利用されていました。数年前に商店は閉店しましたが建物はリニューアルされ、今はレストランとして営業しています。

旧網干銀行を眺める

間もなく築100年になろうという建物は重厚ながら優美な装飾も施されていて、非常にシンボリックです。

かつての塩田は

網干の市街地を抜けて海側に出ると工業地帯が広がっていました。
かつてこの辺りには塩田が広がっていました。

ダイセル異人館

工業地帯の中に公園のような一角がありましたその中には小さな洋館があります。
こちらはダイセル異人館です。

網干の海側一体に日本セルロイド人造絹糸(今のダイセル)が工場を設けたのは明治42(1909)年のこと。以後、工場は拡張し、今では網干の海側一体に広大な敷地が広がっています。この異人館は明治43(1910)年に、工場の技術指導のためにドイツ、イギリス、スイスから赴いた計6名の外国人技術者の宿舎として建てられたものです。緑色が鮮やかなこちらは資料館として使用されていますが、感染症対策のために今は公開が休止されています。

衣掛クラブ別館

ダイセル異人館と並ぶように建つ洋館が衣掛クラブ別館です。こちらもダイセル異人館と同様に外国人技術者の宿舎として建設されました。こちらは一般には公開されていませんがピンク色の壁に赤い屋根はかわいらしくて印象的ですね。

ダイセルの敷地

ダイセルの創業100年を記念して整備された敷地は異人館の存在もあってどこか異国情緒が漂っています。

物資の集散地として栄えた近代まで、そして、工業地帯として近代から現代に発展していった網干。網干を代表する洋館はこの街の移り変わりを象徴しているようでした。

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