せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

天満宮と塩の町・曽根を歩いて(後編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、曽根を歩いてみたいと思います。

臨川寺

曽根天満宮から北側に歩くと、入り組んだ道の続く集落がありました。今では一帯が住宅地となりわかりにくくなっていますが、この辺りが古くからの曽根の集落でした。集落の中に寺院がありました。こちらは臨川寺という臨済宗の禅寺です。

桃源寺

さらに歩くと桃源寺という寺院がありました。こちらも臨済宗の禅寺です。曽根の集落はこうした寺院が数多くあるのが特徴でしょうか。

今は住宅地となっている曽根ですが、かつては曽根天満宮の門前町、そして、塩田の町として栄えていました。集落には製塩業で栄えた豪商が数多く屋敷を構え、そうした商家に所縁のある寺院も数多くあったそうです。古い地図を見てみると、曽根から隣の大塩にかけて、山陽電車の線路の海側には塩田が広がっていました。

曽根の街並み

禅宗寺院の建ち並ぶ集落を歩くと、立派な屋敷が目立つのに驚かされます。

旧入江家住宅

曽根の集落の中でも特に目立つのが旧入江家住宅です。入江家は江戸時代からこの曽根で製塩業を営んでいて、かつての曽根村の庄屋も務めていました。住宅は普段は一般に公開されていませんが、江戸時代の様式を残し、美しい庭園も整備されているとのこと。曽根は古くは姫路藩領でしたが、後に幕領、そして、一橋領になりました。幕府とのつながりがあったことも製塩業の発展を支えたと言われています。

曽根天満宮の鳥居と山陽電車

再び、山陽曽根駅前に戻ってきました。ちょうど鳥居の前を山陽電車が通過していきます。

かつてはこの向こうには田んぼ、そして、塩田が広がっていましたが、田んぼは住宅地となり、塩田は昭和46(1971)年にイオン交換膜製法によって製塩が行われることになったために廃止されました。今では天満宮の門前の静かな街並みが残されています。

天満宮と製塩の町として栄えた曽根、梅雨の晴れ間にゆっくりと歩いてみてはいかがでしょうか。

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