せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

衝原と丹生の里を歩いて(前編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前々回・前回に続いて、北神は山田を歩いてみたいと思います。

福田寺

田んぼの中ののどかな道を歩き、集落の中に入ると寺院がありました。こちらは福田寺です。

丹生神社鳥居

福田寺のある集落を抜けて歩いていくと、田んぼの中に鳥居がありました。
こちらは丹生神社の鳥居です。

丹生神社の創建時期はわかっていませんが、はるか古代に遡ると言われています。元々はこの地にあった明要寺という寺院の鎮守社だったとのことで、この明要寺も百済の聖王の王子の童男行者なる人物が伽藍を建立したのが始まりと言われていますが、これも詳しい時期はわかっていません。平安時代は平清盛が山王権現を勧請し、神社としての姿が整えられました。

丹生山への道

鳥居の向こうにはのどかな道が続き、その向こうに丹生神社のある丹生山がそびえています。丹生神社に祀られている丹生都比売(にうつひめ)は渡来系の丹生氏の氏神で、丹生氏が水銀鉱山に深くかかわっていたことから、鉱山の神とされています。実際に、丹生山の隣の帝釈山では銅を始めとする金属が採掘されていました。北神地域では有馬温泉の泉源を守るために採掘は厳しく制限されていて、この帝釈山は数少ない鉱山でしたが、太平洋戦争後に衰退し、今ではほとんど面影もありません。

丹生宝庫

丹生山への道の途中にあったのが丹生宝庫です。こちらは丹生神社の宝物殿で、中には丹生神社を鎮守としていた明要寺の遺物などが収められているそうです。興味深いところですが、公開は毎年5月5日の年に一日だけだそうです。

丹生神社参道

集落を通り抜ける丹生神社の参道には、参道を見守るようにお地蔵さんがありました。神社はこの先、3キロ弱の山道を登った先にあるようですが、山登りの装備をしていなかったのでまたの機会ということに。お地蔵さんに挨拶をして、引き返すことにしました。

のどかな里に史跡が点在する北神・山田。次回はさらに歩いてみたいと思います。

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