せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

姫路・別所を歩いて(後編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、姫路の別所を歩いてみたいと思います。

別所村道路元標

国道2号線を渡り、住宅地の中へ。道路の端には埋もれかけた石碑がありました。こちらは別所村道路元標です。

西国街道

別所村道路元標がある道を眺めてみると、緩やかにカーブしていて、見るからに古い道の姿です。こちらはかつての西国街道です。今では住宅が建ち並んでいますが、古くからの別所の街は西国街道沿いにこの辺りから西へ広がっていました。

別所の地名は中世にあった「別納所(べちのうしょ)」が訛ったものと言われています。近世には「福居」とも呼ばれていて、古い地図を見るとちょうどひめじ別所駅のある辺りは「福居新」という名前が記されています。

日吉神社雨乞開願常夜灯

西国街道を越えると、灯篭が見えてきました。こちらは日吉神社の雨乞開願常夜灯です。この奥にある日吉神社で明治20(1887)年に執り行われた雨乞開願の際に建立されたものです。

日吉神社

常夜灯からさらに山に向かって歩くと、日吉神社にたどり着きました。

別所の日吉神社はもとは山王権現、天照大神、牛頭天王、薬師如来を祀る神仏習合の神社でしたが、近代に入り近江の日吉神社から大山祇神を勧請して日吉神社となりました。この大山祇神は雨の神様ともいわれ、先ほどの常夜灯が建立された明治20(1887)年に雨乞開願が執り行われたそうです。

雨乞開願記念碑

境内には雨乞開願記念碑があり、絵馬殿には雨乞開願の様子を描いた絵が奉納されていました。

別所の獅子舞

日吉神社で知られているのが秋祭りに奉納される「別所の獅子舞」です。ひめじ別所駅前にはこの地区の土地区画整理事業の記念碑として、獅子舞の記念碑がありました。

中世からの町に生まれた新駅。駅とともに新しい町が生まれ、発展しています。しばらく経てばまた今とは違う景色が広がっているのかもしれません。

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