せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

縄文遺跡と祭の地・藤江を歩いて(後編)

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新年明けましておめでとうございます
本年も山陽沿線ブログ「せっつ・はりま歴史さんぽ」をよろしくお願いいたします

新年最初は年末に訪れた藤江を引き続き歩いてみたいと思います。

藤江別所遺跡

藤江川に沿って歩くと、築堤の上に山陽電車の変電所がありました。その傍には不思議な空間が。こちらは藤江別所遺跡です。

藤江別所遺跡は明石市の藤江ポンプ場の建設の際に発掘された遺跡です。伝説では、かつて海だったころにこの地に鉄製の船が沈み、そのために鉄分を含んだ水が湧き出るとされ、「鉄船の森(かなふねのもり)」と言われていました。発掘調査では弥生~古墳時代頃の祭祀の跡や、鉄分を含んだ水が湧き出る井戸の跡が見つかったそうです。井戸の中からは腕輪や銅鏡が見つかったそうで、先ほどの青龍神社と合わせて、古代からこの地が祭祀の場であったことを感じさせます。

御崎神社

藤江別所遺跡の裏手の森に入ると、神社がありました。こちらは御崎神社です。
山陽電車の線路沿いの静かな神社ですが、創建ははるか古代の神功皇后の三韓征伐にまで遡るとされ、非常に長い歴史を持っています。

的射神事

境内は広々としてちょっと不思議な雰囲気です。実は、この境内では毎年1月に「藤江の的射」という神事が行われ、2020年の今年は1月12日(日)に執り行われる予定です。この神事の際には海側(鳥居側)に的が置かれ、的をめがけて矢を射るとのこと。

「藤江の的射」の始まりは江戸時代に遡ると言われています。伝説では、神々の乗った船がこの地の沖合で停泊しようとして船夫が海に錨を下した際、誤ってアカエイの鼻に錨を下ろしてしまいました。それに怒ったアカエイは船を沈めてしまい、亡くなった船夫は悪霊となって村を祟ったと言います。その悪霊を御崎神社に祀られている山王権現が弓矢で祓ったということにちなんで、悪霊を祓い、豊作豊漁を願う神事を行うようになったのがこの「藤江の的射」とのこと。

御崎神社の参道

御崎神社の鳥居の向こうには山陽電車の線路が。かつて神社の参道は海側に向かって伸びていましたが、近代に入り参道を横切るように線路が敷設されました。普段はフェンスで立ち入りができないようになっていますが、神事の際は臨時の踏切が設けられます。

山陽電車と参道

線路を挟んで反対側に回ってみました。
ちょうど山陽電車が通過していきます。

藤江川沿いに史跡や古代遺跡と祭礼の地が広がる藤江。
古代のロマンを感じながら歩いてみてはいかがでしょうか。

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