せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

街道と伝説の街・大蔵谷を歩いて(前編)

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年の瀬のこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

大蔵谷駅

今回降り立ったのは大蔵谷駅です。

旧西国街道

交通量の多い国道2号線から横道に入ると、国道に並行するように東西に走る道がありました。
こちらはかつての西国街道です。大蔵谷は西国街道の宿場町で、道沿いにはうだつのある家が残されています。観光地化されているわけではありませんが、趣のある雰囲気ですね。

うさぎ

実は以前も訪ねたことがあるのですが、ある民家のうだつにはうさぎの飾りがありました。うだつは「卯建」とも書きます。この飾りは「卯」「うさぎ」をかけたのでしょう。洒落っ気のある飾りはこの地が宿場町として豊かに栄えたことを今に伝えるようです。

穂蓼八幡神社

街並みの中にあったのが穂蓼八幡神社です。

伝説では、古代の推古天皇の時代(593~628年)に大陸から攻め入った鉄人の率いる軍勢を越智益躬なる人物がこの地で迎え撃った偉業をたたえるために、子孫がこの地に越智益躬を祀る祠を創建したのが始まりとされています。以前はその名も越智神社とされていたそうですが、江戸時代に移転され、名前も現在の穂蓼八幡神社に改められたそうです。

穂蓼八幡神社の境内

もともと祠を由来とした神社ですが、境内は意外と広々としています。
現在、この神社の前の海岸は埋め立てられ、商業施設が建ち並んでいますが、かつては海岸が続いていました。

街道と伝説の地・大蔵谷、次回はもう少し歩いてみたいと思います。

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