せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

姫路・船場を歩いて(後編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、姫路の船場を歩いてみたいと思います。

船場の街並み

船場川沿いから街中に入ってみます。
姫路の街は城の東から南側に広がり、北西方向は地形の事情もあって近代までそれほど市街化は進んでいなかったようですが、ここ船場では物資の集散地として経済的に発展していたせいか、古くから市街化されていました。

船場御坊

町の中にあったのが「船場御坊」こと本徳寺です。姫路で本徳寺と言えば、山陽電車の亀山駅近くにある亀山御坊が思い浮かびますが、ここ姫路城下にも同じ名前の寺院があります。

船場御坊の境内

山門をくぐると、目の前には巨大な本堂がそびえています。

船場御坊は戦国時代の永正12(1515)年、今の姫路市飾磨区にあった英賀御坊の創建に由来するとされています。この英賀御坊は後の天正8(1580)年に秀吉の英賀城攻めで亀山に移転しました。亀山に作られた亀山御坊は江戸時代の浄土真宗の東西分立で西の本願寺派に入ることとなります。東の大谷派の信徒は姫路における大谷派の拠点の再興を姫路城主となった本多忠政に訴えたところ認められ、江戸時代の元和4(1618)年に組屋敷のあった船場の地に新たな寺院が建立されることとなりました。寺院としては江戸時代からとなりますが、その背景には亀山御坊とともに中世の英賀御坊からの歴史をもつこととなり、大きな本堂には趣を感じますね。

姫路城埋門跡

船場御坊から船場川を渡ると姫路城は間近。かつて中濠だった国道沿いには石垣が残り、埋門の跡がありました。

物流の集散地として姫路藩の経済を支えただけでなく、中世都市・英賀の機能も受け継いだ船場。秋のお出かけに姫路を訪れた際は足を延ばしてみてはいかがでしょうか。

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