せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

有馬への道(前編)

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梅雨が始まらず青空の広がるこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

有馬温泉駅

神戸電鉄の電車で着いたのは有馬温泉駅
ガラス張りの駅舎が印象的ですね。

有馬温泉は「日本三大古泉」の一つと言われ、神々が見つけたという伝説もあるほど、非常に古い歴史を持っています。飛鳥時代頃には既に温泉地として知られていたようですが、その後荒廃。奈良時代に入り、行基や仁西といった僧侶が寺院や宿坊などを整備し、温泉地として発展していきました。

有馬温泉の街並み

駅から旅行者や観光バスで賑わう道路を歩き、温泉街の中の太閤通へ。
通の両側には土産物店や飲食店が建ち並び、温泉地らしい雰囲気が漂っています。
この通の下には六甲山から流れ出る滝川が流れていて、太閤通では暗渠になっています。
滝川が暗渠化される前の古い写真を見ると、川の両側に細い通があり、温泉旅館が建ち並んでいて、今以上に温泉地らしい雰囲気だったようです。

有馬温泉バスターミナル

太閤通の奥にあったのが有馬温泉バスターミナルです。
神戸電鉄でアクセスできる有馬温泉ですが、高速バスの便も便利で、大阪、京都から多くの本数が運行されています。

温泉地として整えられた有馬温泉ですが、交通機関が現在のように整えられたのは近代以降のことで、それまでは険しい六甲山に阻まれ、アクセスのしにくい温泉地でした。交通路として知られているのは「湯の山街道」で、戦国時代、秀吉の三木合戦の際に有馬と三木を往来するために使われた道でした。比較的平坦な湯の山街道の他には宝塚の小浜から生瀬を経て有馬温泉へと至る「有馬道」や御影から六甲山を越える「魚屋道」などがありましたが、いずれも山を越える非常に険しい道でした。

温泉寺

温泉街の中を歩くと、石段がありました。ここは温泉寺という寺院です。
奈良時代に有馬温泉が僧・行基によって整備された際に開かれたとされ、非常に長い歴史を持っているとされています。便利な交通機関のおかげで賑やかな温泉地となった有馬ですが、この寺が開かれたときはどのような景色が広がっていたのでしょうか。

徒歩から鉄道やバスへ交通手段が移り変わるとともに発展してきた有馬温泉。次回はもう少し湯煙の街を歩いてみたいと思います。

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