阿閇の里・二子を歩いて(前編)


まるで真夏のような暑さが続くこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

西二見駅

山陽電車で到着したのは西二見駅

西二見駅より

駅の南側はショッピングセンターや医療機関が建ち並び、賑やかですが、北側は田んぼと住宅地が入り混じり、静かな雰囲気です。

板塀の道

山陽新幹線の高架橋をくぐり、さらに歩いていくことに。細い道沿いに板塀を巡らせた屋敷が広がっていました。

この辺りは播磨町の「二子」と呼ばれる地区。少し変わった地名はかつてこの地にあった「二子塚」という塚に由来しているとされています。古くから農村地帯として栄えてきたのですが、一方で、北を通る西国街道と浜側を通る浜街道を結ぶ「明石道」があり、多くの人が行き交い、賑わっていました。

明石道の街並み

明石道に入ると、まるで旧街道のような街並みが残されていました。左側の立派な商家は造り酒屋とのことです。

播磨平野ののどかな集落かと思いきや、少し違った景色の広がる播磨町の二子、次回もう少し歩いてみたいと思います。

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大阪天満宮を訪ねて(後編)


こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、大阪天満宮を訪ねて歩いてみたいと思います。

大将軍社

大阪天満宮の境内にあったのが天満宮がこの地に創建されるきっかけとなった大将軍社です。

平安時代の延喜元(901)年に大宰府に向かう途中の菅原道真はこの大将軍社を参拝しました。大宰府で道真が没した五十年ほど後、この大将軍社の前に一夜にして七本の松の木が生え、夜な夜な光ったそうです。それを聞いた当時の村上天皇の命で建てた道真を祀る社が現在の大阪天満宮です。

天満天神繁盛亭

天満宮の裏手には「天満天神繁昌亭」なる落語の寄席がありました。寄席の建物のせいか、どこか門前町らしい雰囲気で、ここが大阪の都心の真ん中であることを忘れてしまいそうです。

大阪天満宮の路地

大阪天満宮の裏手はこんな雰囲気。
かつてはこの辺りも境内の中で、街中に天満宮の摂社が点在しています。

星合の池

天満宮の裏手、大阪天満宮駅の方へ向かうと、ビルの合間に石造りの鳥居と池がありました。こちらは星合の池です。池の中には祖霊社と茶店がありました。かつてはこの辺りも天満宮の境内で、周辺に他の池もあり、この星合の池も今の三倍程度の大きさがあったそうなのです。しかし、近代に入り、都市化により埋め立てられ、現在の姿になりました。

池と祖霊社
ビルの向こうは多くの人や車が行き交い地下には谷町線とJR東西線が走る曽根崎通ですが、池の周りはまるで別世界のような雰囲気です。

大都会の中にまるでオアシスのように佇む大阪天満宮、大阪にお出かけの際は立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

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大阪天満宮を訪ねて(前編)


新緑の頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

南森町

今回訪ねたのは大阪の南森町Osaka Metroの駅名では「南森町」ですが、JR東西線の駅名では「大阪天満宮」です。

大阪天満宮

JRの駅名の通り、駅のすぐそばには大阪天満宮がありました。
ビルの合間にそびえる表門は立派ですが、この景色を見ると、私はみたらし団子系和菓子のCMを思い出してしまいます。

大阪天満宮の境内

大阪天満宮は大阪の街の中心にありますが、境内は広々としていて緑豊かです。

大阪天満宮の歴史は奈良時代の白雉元(650)年にまで遡るといわれています。現在の谷町四丁目付近に造営された難波長柄豊碕宮(なにわのながらのとよさきのみや)の守護として大将軍社が創建されたのが始まりとされています。南森町の地名の「森」とはこの大将軍社の森を指すとされていて、かつては対になる「北森町」という地名もありました。

登竜門

境内にあったのが登竜門です。
現在の大阪天満宮は天保8(1837)年の大塩平八郎の乱で焼失したものを再建したもので、その当時から東西にこの登竜門が設けられています。毎年受験シーズンには合格守を購入した方を対象に、この登竜門を潜り抜ける「登竜門通り抜け参拝」ができるとのこと。

大阪の都心に佇む大阪天満宮。次回、もう少し歩いてみたいと思います。

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明石・王子を訪ねて(後編)


こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、明石の王子を歩いてみたいと思います。

街道の街並み

JRの線路を潜り、さらに北へ向かいます。街道の風情はあまりありませんが、この辺りの道はかつての山陽道です。
現在は明石の市街地と一続きになっていますが、古い地図を見ると城下町とは独立した町が街道沿いにあったようです。

十輪寺

街中に寺院がありました。こちらは十輪寺です。

街中にある小さな寺院の十輪寺ですが、奈良時代に藤原鎌足の孫の藤原宇合(うまかい)が創建したとされていて、千年以上の歴史を持っています。宇合が明石郡内に七体の薬師像を造った際、さらにもう一体造った薬師像をこの寺に安置したとされていることから、別名「八体薬師」とも呼ばれています。江戸時代の寛永16(1639)年には当時の明石城主の大久保季任が堂宇の整備を行ないました。しかし、これらの堂宇は昭和20(1945)年の明石市街を狙った空襲で焼失してしまいました。現在の建物は戦後に建てられたものです。

秀吉ゆかりの杉

十輪寺の境内には焼け焦げた木がありました。こちらは戦国時代、豊臣秀吉が戦勝を祈願して植えた杉の木とされています。昭和の初めには大木となりこの辺りの名勝となっていたようですが、明石空襲で堂宇もろとも焼け落ちてしまい、今は一部が残されているのみです。

嘉永橋

十輪寺から明石川の方へ歩いてみました。川に架かるのは「嘉永橋」で、その名の通り、幕末の嘉永7(1854)年にもともとこの地にあった橋を改築して架けられた橋です。

明石川を眺める

嘉永橋から明石川を眺めてみました。明石城はこの明石川を外堀代わりにしていたことから、江戸時代には明石川に橋はありませんでした。江戸時代の末に相次いで嘉永橋と下流の大観橋が架けられたことは革命的な出来事だったのでしょう。王子の街が発展したのはこの橋の存在があったのかもしれません。

今は明石の市街地と一体になっている王子地区ですが、明石市街とは少し異なった歴史を歩んできました。気候のよい季節、明石でのお買い物などの際などに少し足を延ばして王子の街を歩いてみませんか。

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明石・王子を訪ねて(前編)


元号が変わり、お正月のような気分もするこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

西新町駅

今回降り立ったのは山陽電車の西新町駅
2015年に高架化されたばかりで、真新しい駅舎が眩しいですね。

われらがふるさと王子

駅前には新しい石碑がありました。
この辺りの今の地名は「西新町」ですが、以前は一帯が「王子」と呼ばれていました。

王子神社

交通量の多い国道を渡り、住宅街の中に入ると公園と神社がありました。こちらは王子神社です。

王子神社の創建時期はわかっていないようですが、はるか古代の5世紀後半、のちに顕宗天皇仁賢天皇となる二人の皇子が東播磨に逃れた際にこの地に身を寄せたという伝説から、両天皇を祀る神社とされています。はっきりとした記述は見当たらなかったのですが、この伝説が「王子」の地名の由来になったのでしょうか。

境内の桜

神社の前は公園になっていて、訪れた時はまだ桜の花が残っていました。園内にあった白平大明神の朱塗りの鳥居と桜の花のコントラストが美しいですね。

明石の市街地の一地区のようで、実は古い歴史を持つ王子地区。次回、もう少し歩いてみたいと思います。

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