せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

島の城下町・洲本を歩く(前編)

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寒さの中に春の気配を感じるこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

明石海峡大橋

今回は高速舞子バス停から山陽バスの高速バスに乗り、明石海峡大橋を渡ります。

洲本

高速バスで到着したのは淡路島の洲本
淡路島の中心都市で、多くの建物が建ち並び賑わった雰囲気です。
街はずれの三熊山の頂には洲本城の小さな模擬天守を見ることができます。

淡路島は現在では兵庫県になっていますが、もともとは四国とつながりの深い地域でした。かつての中心地は洲本から海岸沿いに南に下った由良でした。しかし、山が海に迫る由良は土地が狭く、江戸時代の寛永8(1631)年洲本を治めていた徳島藩蜂須賀氏が所謂「由良引け」で城も城下町も洲本に移すことになります。以後、洲本が淡路島の中心として発展することとなりました。

洲本駅跡

街中に淡路交通のバスの車庫がありました。
かつてはここが洲本のバスターミナルで、さらに時代を遡れば、ここ洲本と南あわじ市の福良を結ぶ淡路鉄道の洲本駅でした。淡路鉄道は島内の輸送だけではなく、福良から航路で鳴門・徳島へと連絡していたとのこと。今では神戸・大阪へ高速バスが頻繁に運行する一方で、洲本から徳島へのバスはごくわずかしか運行されていませんが、かつては四国とのつながりが深かったことを伺わせます。

農人橋跡

洲本駅跡から街中を歩いていくと、市役所の真新しい建物の傍らに石碑がありました。こちらは農人橋の跡です。かつてはここに洲本城の堀があり、堀を渡る橋が架かっていたとのことです。

洲本城の堀は

洲本城の堀はほとんどが埋め立てられてしまいましたが、この付近ではわずかでありますが痕跡があります。石碑の向かい側の商店の裏を覗くと、水面を眺めることができました。

「由良引け」で生まれた洲本の城下町。
もう少し歩いてみたいと思います。

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