せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

湯の町・湊山を歩く(後編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて湊山地区を歩いてみたいと思います。

坂の町

天王川沿いから坂道を上ることにします。六甲山地の斜面に天王川や湊川が深い谷を刻んでいるこの辺りは複雑な地形で、坂道や路地が入り組んでいます。

街中の鳥居

住宅地の中を歩いていると、石造りの鳥居を見つけました。こちらの鳥居は有馬温泉の守護神ともされる豊國稲荷神社の鳥居です。

豊國稲荷神社の創建は明らかになっていないようですが、もともとは兵庫にあった兵庫城内に鎮座していたとされています。それが明治に入って移転し、有馬温泉の守護神とされていたこともあって、有馬への道筋の山中に落ち着くことになりました。前回訪れた天王温泉の石碑には、この豊國稲荷神社が天王温泉の守護神であるとも書かれていましたね。詳しい由緒はわからないのですが、温泉の神様ということになっているのでしょうか。

城壁のような石垣

豊國稲荷神社の鳥居からさらに住宅地を歩いていくと、まるで城壁のような石垣の上に住宅が建ち並んでいる景色が続きます。

大山咋神社

坂道を上りつめ、大山咋(おおやまくい)神社の前にたどり着きました。

大山咋神社が創建された時期は詳しくわかっていないようですが、古代に比叡山日吉大社から勧請されたと伝わっています。その後、福原へ遷都がなされた前後の治承年間に、平家と関係が深く、政権内で重用されていた藤原邦綱が雪御所の鎮護とするために再造営し、今に伝わっています。

豊國稲荷神社は今

先ほど、鳥居を見かけた豊國稲荷神社はかつて鳥居の先の山中にありました。しかし、平成28(2016)年に遷座され、現在はここ大山咋神社の境内にあります。険しい山中にあり、管理が難しかったためとのことで、時代を感じさせられますね。

大山咋神社より

大山咋神社より神戸の街を見下ろしてみました。古代より温泉が湧き、清盛を始め多くの人々を癒してきた湊山の温泉地と大山咋神社。時代の流れとともに姿を変えてきましたが、今も険しい坂の上から神戸の街を見下ろし、佇んでいます。

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