せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

明石川右岸の台地・枝吉を歩いて(前編)

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すっかり秋らしくなってきたこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

王塚台

西明石駅前からバスで到着したのは神戸市西区の王塚台です。神戸市内ではありますが、西区の西端に位置し、どちらかと言えば明石と結びつきの強いエリアです。実際、戦後の昭和22(1947)年に神戸市に編入されるまで、この辺りは明石郡玉津村という自治体名でした。

王塚台の街並み

バス停から歩くと、静かな住宅街が広がります。この近くには神戸市と明石市の市境があるのですが、街並みは連続していて、あまりよくわかりません。

王塚公園

住宅街の中を歩いていると、こんもりとした森と公園が現れました。

王塚古墳

公園の中にはさらにこんもりとした森がありました。森の周囲は緑色の水をたたえた堀で、堀の周囲は柵で厳重に囲まれています。もうお分かりかもしれませんが、この森は王塚古墳と呼ばれる古墳です。王塚台という地名はこの古墳に因んでいます。

地上からはよくわかりませんが、王塚古墳は垂水の五色塚古墳と同じ前方後円墳です。住宅が建ち並ぶ今ではあまりわからなくなってしまいましたが、この地は東側を流れる明石川が形成した段丘に位置し、「王塚台」の名前の通り、西に広がる印南野台地の東端にもあたる眺めの良い土地でした。古い地形図を見てみると、明石川と伊川の作った谷が玉津から明石の市街地へと広がっているのを見下ろすことができたのであろうことが伺えます。この古墳が築かれたのは古墳時代中ごろの5世紀前半と言われていて、この辺りでは垂水の五色塚古墳に次ぐ規模とされ、有力者が埋葬されていると考えられています。

宮内庁の管理

古墳の周りの柵には宮内庁の文字がありました。王塚古墳の被葬者(埋葬されている人物)はわかっていませんが、欽明天皇の皇女の舎人姫王という皇族の墓であるとされていて、現在では宮内庁の管理する陵墓となっています。ただし、この古墳の築造時期と舎人姫王の時代(6世紀末から7世紀初頭)とは異なるため、事実は謎のようです。

静かな住宅街の中に古代へとつながる史跡があるのはこの辺りの魅力ですね。次回はもう少し歩いてみたいと思います。

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