せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

須磨・若宮を訪ねて(前編)

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残暑厳しい頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

月見山駅

山陽電車で到着したのは月見山駅

厄除八幡神社の碑

駅の近くに「厄除八幡神社」と書かれた石碑がありました。この辺りに八幡神社はあったか? と思ってしまいますが、この石碑は多井畑厄除八幡神社を示したものです。今の感覚では随分距離があるような気がしますが、かつてはこの辺りが多井畑への玄関口でした。

離宮道

駅から西へ少し歩くと、松並木が美しい道に出ました。こちらは離宮道です。この山側にある武庫離宮(現在の須磨離宮公園)への道として設けられました。

松風村雨堂

離宮道沿いにあったのが松風村雨堂です。平安時代の仁和3(887)年、京で左遷された在原行平はここ須磨の地へ流されました。ここで多井畑の村長の娘の「もしほ」「こふじ」姉妹と出会い、それぞれ「松風」「村雨」と名付けます。後に行平は京へ戻ることとなり、姉妹はこの地に庵を編んで行平を偲んだといわれています。後に庵の跡にはお堂が建てられました。

松風村雨堂の境内

境内に入ると小さなお堂が並んでいました。先ほど、多井畑厄除八幡神社の石碑を見てきましたが、松風村雨姉妹も多井畑からここまで通ってきていたようですね。須磨と多井畑は今の感覚よりはるかにつながりが強かったのでしょう。ここ須磨と多井畑や、板宿と太山寺など海沿いの街と内陸の寺社との関係を見ていくと、古来の交通路の姿が薄らと浮かび上がってくるような気がしますね。

商店が建ち並びどこか懐かしい雰囲気のこの辺りですが、平安時代からの古い歴史あるスポットが点在しています。もう少し歩いてみることにしましょう。

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