せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

幻の海水浴場・香櫨園浜を訪ねて(後編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、香櫨園を歩いてみたいと思います。

夙川河口

オアシスロードを歩いていくと木々は途切れ、防波堤のような擁壁に真夏の日差しがじりじりと照りつける道に出ました。夙川の河口は目の前です。

御前浜

コンクリート造の階段を下りると浜辺に出ました。こちらは御前浜です。といっても、目の前に人工島があるためあまり海の雰囲気はありません。遠くには独特なデザインの芦屋浜高層若葉町住宅を眺めることができます。

香櫨園浜の名残

浜辺は草が生えていてあまり海水浴という雰囲気ではありませんが、散策をする人の姿をちらほら見かけました。所々にコンクリート製の何かの残骸が砂に埋もれるように佇んでいます。

この地に海水浴場「香櫨園浜海水浴場」がオープンしたのは明治も終わりの明治40(1907)年のことです。幕末に砲台が設けられて防衛拠点だったこの浜を阪神電車が払い下げを受け、隣の打出にあった海水浴場を移転して開設されました。大正時代には前回説明した香櫨園遊園地の一部の施設が移転し、一大行楽地としてさらに賑わうことになります。戦時中に一時閉鎖されたことはありますが、賑わいは戦後まで続きました。砂に埋もれるコンクリートは当時の施設の跡なのでしょうか。

西宮砲台

浜の外れの松林の中に円筒形の巨大な施設がありました。こちらは西宮砲台です。

西宮砲台が造られたのは幕末の慶応2(1866)年のこと。大坂湾の防衛のために設けられたのですが、竣工して程なく明治を迎え、実戦で使用されることはありませんでした。周辺をフェンスで囲まれていて中を見学することはできないのですが、明治17(1884)年に発生した火災で木造部分が焼失してしまったそうです。この地に海水浴場があったころにはこの砲台の周辺にも様々な施設が設けられ、多くの行楽客で賑わったそうです。

香櫨園浜を眺める

再び香櫨園浜を眺めてみることにしました。賑わった海水浴場は水質の悪化などにより昭和40(1965)年に閉鎖。代替にプールが設けられましたが、それも今はありません。大坂湾の防衛拠点、そして、行楽地として賑わった浜は今、静かに佇んでいます。

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