せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

御堂筋を歩く(前編)

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梅雨の気配も感じるこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

本町駅

大阪メトロ御堂筋線
を降りたのは本町駅。地上の出入り口はガラス張りのお洒落なもので、御堂筋の景色に合ったものです。

旧大阪市交通局のマーク

駅の近くには旧大阪市交通局のマークが残されていました。大阪市交通局が大阪メトロになったことで、かつてのマークは順次新しいシンボルマークに変更されていますが、一部にはこうして残されています(写真は取材時点のもので、変更されている場合があります。予めご了承ください)。

御堂筋

さて、地下を御堂筋線が走るこの御堂筋。南行き一方通行にもかかわらず6車線をもつ広い広いこの道路が大阪のメインストリートであることに異論はないかと思います。

御堂筋の歴史は中世に遡るとされています。現在の御堂筋は梅田からなんばまで続く道路を指しますが、中世から近代にかけての御堂筋は南半分を指し、北半分の淡路町以北は淀屋橋筋と呼ばれていました。当時の御堂筋は大坂城下の街路の一つに過ぎず、交通量はさほど多くなかったと言われています。

北御堂

普段はあまり意識せず「ミドースジ、ミドースジ」と言っていますが、「御堂」と言うからにはその由来の御堂は勿論存在します。こちらは「北御堂」と呼ばれる本願寺津村別院です。オフィスビルの建ち並ぶ市街地に大きな伽藍を持つ寺院で、創建は江戸幕府が開かれる直前の慶長2(1596)年です。この地の北側の「津村」に設けられた信徒の集会所が始まりで、江戸時代半ばに焼失したものが享保19(1734)年にこの地に再建されました。市街地の中では目立たない存在ではありますが、間違いなくこの周辺で一番古くからあることになりますね。

現代的な街並みが続く市街地の中にも歴史あり。次回はもう少し御堂筋を歩いてみたいと思います。

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