せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

秀峰を望む弓弦羽の里を歩く(後編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、阪急御影駅から歩いてみたいと思います。

綱敷天満神社

高い石屋川の土手の傍らに神社がありました。こちらは綱敷天満神社です。何だか聞いたことがある名前ですね。

綱敷天満神社の由緒を見ると、延喜元(901)年、菅原道真が左遷され、九州の太宰府に向かう途中、この地にあった石屋村の祖・山背王を訪ね、その際に石の上に円座のように綱を置いて招いたことが神社の名前の由来とのこと。経緯は若干異なりますが、綱を円座のように敷いて、その上に道真が座った…というあたりは須磨の綱敷天満宮と同じですね。同様な伝説は各地にあるのかもしれません。

綱敷天満神社の境内

境内は広いわけではありませんが、何だか変わったものがありました。細い柱の鳥居のようなものに綱が巻きつけてあります。こちらは毎年一月に行われる綱打祭で使われる注連柱(しめばしら)と綱で、この注連柱を潜ることで無病息災に暮らすことができるとのこと。

石屋川隧道跡

綱敷天満神社から歩いてJRの高架を潜ります。高架下には「日本で最初の鉄道トンネル 旧石屋川隧道跡」と書かれた石碑がありました。この地に鉄道が開業したのは明治10(1877)年のこと。当時の鉄道は天井川の石屋川よりも低い地平を走っていました。蒸気機関車では急な坂道を上ることができないため、道路橋のように石屋川を乗り越える橋を設けることもできず、川の下を通るトンネルが設けられることになりました。これが日本で最初の鉄道トンネルとのことです。このトンネルは昭和51(1976)年、高架化が完成するまで使用されていましたが、現在は跡形もありません。

御影公会堂

坂道を下っていくと、目立つ建物が見えてきました。こちらは御影公会堂です。昭和7(1932)年に完成したこちらは御影のシンボルのような建物ですね。

六甲山地を眺める

御影公会堂から少し下ると、石屋川の向こうに六甲山地の景色が広がりました。前回、弓弦羽神社で紹介した秀峰・弓弦羽嶽とは、実は六甲山のことであると言われています。六甲山自体は雲と木々で望むことはできないのですが、坂の町の向こうに峰々が続くこの景色は美しいですね。

ここから石屋川沿いに少し坂を下ったところにある阪神電車の石屋川駅から六甲山地を眺めつつ帰途に就くことにしました。

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