せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

洗川の港町・今市を歩いて(後編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前々回・前回に続いて洗川沿いの中島今市を歩いてみたいと思います。

正覚寺

お屋敷が建ち並ぶ今市の街中にあったのが正覚寺という寺院です。こちらは江戸時代初期に建立されたという寺院で、門前には南北朝時代のものとされるお地蔵さんがあります。

今市の街並み

正覚寺を過ぎても、周辺にはお屋敷が建ち並ぶ景色が続きます。

法華山谷川と洗川に囲まれて水運に便利な今市は古くから物資の集散地として栄えていました。特に、この辺りでよく生産されていた印南三白(米、木綿、塩)の取引が盛んでした。ちなみに、江戸時代の初め、今市は姫路藩の領地でしたが、江戸時代の中頃には徳川吉宗の四男・宗尹を家祖とする一橋徳川家の領地となっています。この今市が特に栄えたのは江戸時代の長い期間、天領であったこともあるのでしょうか。

住吉神社

今市の街を歩いていくと、法華谷川沿いの住吉神社にたどり着きました。

今市を治めていた一橋徳川家に仕えていたのが渋沢栄一でした。渋沢は周辺で生産される木綿や米の取引方法の確立するなどで一橋徳川家の財政建て直しに奔走し、ここ今市に「一橋産物会所」を設立しました。また、裕福な今市の商家から現金を集め、「今市札」と呼ばれる藩札を発行し、その引替所もこの地に置きました。渋沢の政策で今市はさらに発展していくことになります。

川を臨む

住吉神社の裏から法華山谷川沿いに出てみました。
かつて賑わった港は、現在では跡形もありません。近世から近代の初めまで栄えた今市ですが、幕藩体制の終わりや、物流の変化で次第に経済の中心としての機能を失っていきます。千石船が行きかっていた洗川は戦後、埋め立てられたり暗渠になったりして、これまで歩いてきたようにわずかな痕跡が残るのみです。

法華山谷川と山陽電車

川を下ると山陽電車の鉄橋が見えてきました。ちょうど、直通特急が通過していきます。

これからの穏やかな季節、かつて栄えた川港を訪ねて、高砂を歩いてみませんか。

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