こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、夢野を歩いてみたいと思います。
氷室神社
山手のほうに向かうと、神社がありました。こちらは氷室神社です。小さな神社ですが、創建ははるか古代にさかのぼるといわれています。平安時代には平清盛の福原遷都の際に安芸の厳島神社から市杵島比売命を勧請したとのこと。
氷室跡
神社の裏手には洞穴のようなものがありました。こちらは氷室の跡と言われています。日本書記にはこの氷室ではないかと言われる氷室に関する記述があり、この地に神社が建立されるきっかけになったのではないかと言われています。
立江寺
氷室神社から東へ歩いていくと、あの赤い欄干の舞台を持つ寺院にたどり着きました。こちらは立江寺という寺院です。建立は大正時代と比較的新しい寺院ですが、舞台からは神戸の街を一望することができます。
鹿が棲む野が広がっていた夢野ですが、変化が起こったのは平安時代のことでした。平清盛の福原遷都の際に、高台にあるこの地から都の位置を測定し、都ができた後も氷室神社に厳島の神を祀るなど、都の守護とされてきました。戦後は開発が進んで山際まで住宅が建ち並ぶようになり、鹿が夢を見た野の面影はありません。
夢野八幡神社
住宅街の中を歩いていると、小さな神社がありました。こちらは夢野八幡神社です。福原造営の際にのろしを上げて測定を行ったのはこの辺りであるといわれているそうです。
烏原
夢野八幡神社の裏手から少し山に登ってみることに。山道を登りきると、木々の間から緑色の水面を望むことができました。こちらは烏原貯水池です。この貯水池ができたのは明治37(1904)年のことで、急激に人口が増加する神戸の街へ水を供給するために奥平野、北野、布引に続いて設けられました。貯水池が設けられる前のこの地には烏原という集落があったそうですが、貯水池の建設に伴って全村移転。集落は水の底に沈んでしまいました。この地にあった願成寺は現在、神戸電鉄湊川駅近くにありますね。
神戸の街を眺める
貯水池のほとりにある行守寺からは神戸の街を見下ろすことができました。明治の開港、戦争、震災を経て、神戸の町は大きく変わってしまいましたが、福原の都を守った夢野の地は今も神戸の市街を見守っています。
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