せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

古湊川をたどる(後編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、「古湊川」をたどってみたいと思います。

川の名残?

歩道橋から国道を見下ろしてみました。古湊川があったとされる辺りが心なしか窪んでいるような気がしますが、これが川の名残なのかどうかはわかりません。

永沢

下沢通を過ぎて見つけたのが永沢歩道橋。この「永沢」や地下鉄の駅がある「上沢」、そして「下沢」の地名は古湊川に由来していると言われています。地名にはこうして川があったことを偲ぶことができるのですが、ビルや住宅が建ち並ぶ景色が続くのみです。

三川口

さらに歩いていくと、「三川口」という地区に差し掛かりました。この地名も古湊川に由来していると言われていて、地名からして河口が近いことを思わせます。

今は名残すらよくわからない古湊川ですが、この古湊川を始めとする河川が運んだ土砂が河口付近で海流が運んだ土砂とともに和田岬を作っていくことになりました。この和田岬は兵庫や神戸の港を強い西風から守り、神戸が良港として発展することを支えることになります。やはり湊川は古来より神戸の母なる川だったと言えるでしょう!

柳原蛭子神社

兵庫駅の近く、柳原蛭子神社に着きました。この「柳原」の地名も、河口付近の低湿地帯を連想させるもので、古湊川がこのあたりを流れていたことに由来していると考えられます。古湊川はここからさらに和田岬を形成しながら大阪湾へと注いでいたようです。

新旧湊川、そして、古湊川まで巡り、神戸の港に湊川の存在が大きく関わっていたことが改めてわかったような気がします。十日えびすも終わり、静かな雰囲気の柳原蛭子神社にお参りをしてから、帰途に就くことにしました。

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