せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

大倉山界隈を歩いて(中編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
湊川神社を訪ねた前回に続き、今回はさらに山手へと歩いてみたいと思います。

大倉山

湊川神社から中央体育館や文化ホールを挟んだ山側にあるのが大倉山です。地下鉄の駅名にもなっているこの小さな山というか丘は大部分が公園や図書館になっています。

安養寺

山の麓にあるのが安養寺。かつて大倉山はこの寺院に由来して「安養寺山」と呼ばれていましたが、明治時代に実業家の大倉喜八郎が買い取って別荘の用地にしました。明治43(1910)年には神戸市へ寄贈されて公園として整備されることになり、大倉の名前にちなんで「大倉山」と呼ばれるようになりました。

楠寺

安養寺から大倉山公園への入り口を挟んであるのが楠寺こと廣嚴寺(こうごんじ)です。現在は現代的な寺院になっていますが、歴史は古く、南北朝時代に後醍醐天皇の勅願で明極禅師により建立されたと伝わっています。楠木正成は湊川の戦いに臨む前にこの寺を訪れ、明極禅師と問答をしたとのこと。

楠寺の境内

現代的な建物になっている楠寺の境内は少々手狭です。

一時は広大な伽藍を持つ大寺院となった廣嚴寺ですが、後に荒廃してしまいます。再建されたのは江戸時代前期の延宝年間で、大和・達磨寺の千厳和尚なる僧によります。実は、この千厳は楠木正成を非常に崇拝していました。天和2(1682)年、千厳は徳川光圀が楠木正成の墓碑を建立しようとしていることを聞き、自ら江戸まで出向いて請願。光圀はその請願を聞き入れ、楠木正成自刃の地であるこの地に墓碑が建立されることになりました。後に墓碑を境内に含むように楠木正成を祀る湊川神社がこの地に築かれることになったわけですから、湊川神社のルーツはこの楠寺であるといえるでしょうか。湊川神社を参拝するのなら、少し足を延ばして訪れてみてもいいかもしれません。

大倉山を越えて

楠寺を後にし、大倉山の裏に回ると住宅地の向こうに六甲の山々が連なる景色が広がります。
次回はさらに山手へと歩いてみたいと思います。

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