せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

長田・宮川を歩いて(中編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、長田の宮川地区を歩いてみたいと思います。

新湊川

長田神社の参道を通り過ぎ、高速長田駅の近くへ着きました。橋の下を流れるのは新湊川です。この辺りは現在は新湊川となっていますが、明治時代に新湊川が開削される前までは宮川(苅藻川)と呼ばれる川でした。

源平合戦勇士の碑

新湊川沿いに源平合戦勇士の碑なる石碑がありました。かつてこの地には、現在は高校の敷地になっているところに小平六池、西国街道を挟んだ南側の警察署や区役所になっている敷地に大池という池がありました。源平合戦の際、この池の傍で戦死した武士の石碑がこの地にあり、後に平知章の碑をこの地に移したことで、源平合戦勇士の碑と呼ばれるようになりました。

御船山旧跡

源平合戦勇士の碑とは新湊川を挟んで反対側に御船山旧跡という碑が建っていました。かつてこの地には御船山という小山がありました。

長田神社についてはもはや説明は不要かもしれませんが、神功皇后が創建したとされ、1800年以上の歴史をもつ古社です。この御船山は、伝説では神功皇后が三韓征伐の帰途に船を着けた場所であるとか、長田神社の鎮座の際に船具を埋めた場所であるとか言われていて、古くから長田神社の附属地となっていました。しかし、明治時代の新湊川開削の際、苅藻川を拡幅するために山は切り崩されてしまいました。現在は石碑が残るのみです。

長田神社参道へ

新湊川沿いから長田神社の参道へ戻ることにしました。高速長田駅からの道は商店が建ち並び賑やかでいいのですが、こちらは趣がありいかにも参道といった雰囲気です。

宮川を渡って

宮川に架かる朱色の橋の向こうに長田神社が見えてきました。参道の正面に神社があるのはいいですね。長田神社へのお参りには、史跡を巡りながらこの参道を歩くのもおすすめです。

長田神社へお参りをして、帰途につきたいところですが、宮川はまだ山の方へ続いています。ここからさらに歩いてみたいと思います。

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