せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

淀川左岸の街・伝法を訪ねて(前編)

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梅雨空の頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

神戸三宮から難波・奈良方面への阪神電車に乗っていて、淀川を渡る際の景色は印象的ではないでしょうか。広い広い川を低い鉄橋で渡るので、座席に座って外を眺めると海の上を走っているようにも見えます。

伝法駅

そんな淀川の左岸にあるのが阪神なんば線伝法駅。築堤に張り付くように小さな駅舎がある駅で、尼崎から西九条まで停車しない快速急行では気づかず通り過ぎてしまいそうですが、なかなか趣があります。現在の阪神なんば線は一時期「伝法線」と呼ばれていて、わずかな期間ですがこの伝法駅が終点だったことがありました。生憎の梅雨空ですが、今回はここから歩いてみたいと思います。

伝法地区の街並み

工業地帯の印象が強いこの辺りですが、駅から歩くとこんな街並みが。開発が進む中でもこの辺りでは昔の街並みが残っています。

西念寺

駅から歩いて程なく着いたのが西念寺です。

西念寺は、現在は街中の小さな寺院ですが、創建は大化元(645)年という説もあり、インドの高僧・法道が開いたと言われています。法道仙人って播磨の寺院の由緒に頻出の僧だと思っていたら、こんなところにも伝説を残していたのですね。この寺院の創建にはほかの説もあるようですが、いずれにしろ、日本に仏教が初めて伝わったのはこの地であるとも言われていて、「伝法」の地名もこの伝説に由来しているとされています。

尼崎街道

西念寺の前の道は緩やかにカーブしていて昔の道の雰囲気。ここには大阪と尼崎を結ぶ尼崎街道が通っていて、西念寺の門前にも道標が残されています。ただし、今、この道は尼崎にはつながっていません。

庚申堂

西念寺の裏の住宅地の中に小さなお堂がありました。こちらは庚申堂です。かつて申村(さるむら)と言われていたこの地には愛宕神社という神社があり、地域の人々の信仰を集めていました。しかし、明治時代に入って周辺の神社と合祀され移転。この地には住民の要望で、この庚申堂だけが残されることになりました。余談ですが、この申村で節分に巻き寿司を丸かじりしていたことが恵方巻の発祥と言われているそうです。

ちょっと歩いただけでも色々見どころのある伝法をもう少し歩いてみたいと思います。

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