せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

加古川河口の港町・高砂を歩いて(中編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、高砂の街を歩いてみたいと思います。

高砂神社

堀川沿いを歩いていくと、神社の森にたどり着きました。
こちらは高砂神社です。

高砂神社の境内

高砂神社の歴史は非常に古く、神功皇后が三韓征伐の帰途に大己貴命(大国主)を祀ったことが始まりとされています。

霊松殿

高砂神社は境内に生えた「相生の松」によって全国に知られることになりました。裸子植物であるマツには雌株・雄株があるのですが、この「相生の松」は一株の中に雌雄があり、(じょう・伊弉諾尊)と(んば・伊弉冊尊)が宿るとされています。現在、境内に生える松は五代目とされ、三代目の松の幹がこの霊松殿に保存されています。

高砂神社のある場所は現在では内陸になっていますが、かつては加古川のデルタ洲で、神社の前まで海が迫っていたそうです。加古川の河口に位置し、物流の上でも軍事の上でも重要な拠点だった高砂には、中世には高砂城なる城が築かれていました。秀吉の三木合戦の際に使われた後はしばらく使用されていなかったようですが、池田輝政が姫路藩主となり高砂の街の整備が行われた際に城も復興されました。その際、城の用地とするためにこの高砂神社も移転させられたと言われています。

境内の松林

高砂神社の境内には相生の松の他にも松が植えられています。

高砂城は後に一国一城令で廃城となり、高砂神社は現在位置へ戻ることになります。境内に城の名残はなく、玉垣にわずかに城の石垣が残るのみです。しかし、城下町として整備された高砂の街はその後も近世から近代に渡って物流の拠点として賑わい続けました。

十輪寺

高砂神社から歩いて市街地にある十輪寺という寺院にたどり着きました。新緑の中にそびえる山門は実に立派で、しばし見入ってしまいます。

次回は十輪寺を経て、さらに高砂の街を歩いてみたいと思います。

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