せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

木場を歩いて(前編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回までは的形の韓泊・福泊を歩いてきたのですが、そのまま足を進めて西に向かうことにしました。

小赤壁

八家地蔵付近から西に目を向けると海から切り立った崖が見えました。こちらは小赤壁と呼ばれる自然の地形です。

小赤壁は江戸時代後期の漢学者・頼山陽が文政8(1825)年にこの地を訪れた際、中国湖北省咸寧市の赤壁に似ているとして命名しました。この小赤壁をつくる燈籠地山には中世に福泊構居という砦が設けられ、幕末には姫路藩が福泊砲台の番所を築いたとのこと。今も痕跡があるようなのですが、冬でも鬱蒼と木々が生い茂る山に登る気はあまりありません。

小赤壁公園

山側から小赤壁の上の小赤壁公園に登ってみました。木庭山の上にある公園は見晴らしがよく、眼下には播磨灘が広がります。水平線にぽっこり顔を出しているのは無人島の上島です。

木庭神社

公園の隅にあったのが木庭神社です。福泊神社の西側に旧印南郡と旧飾東郡の境があり、この辺りの地名は姫路市木場です。ただし、神社の名前は木(きにわ)で何だかややこしいですね。もともと地名も木庭だったのがいつしか木場に変わったためこんなことになっているようです。神社自体は元和元(1615)年に木庭の長者・三木九右衛門宋栄なる人物が建立し、白浜町の松原八幡神社の別宮で、木場の産土神とされているとのこと。

木場港

木庭山から坂道を下り、海辺に出ました。
漁船が集まるのは木場港です。入り江というか八家川というかの対岸は埋立地で倉庫などが建ち並んでいますが、東側の山沿いには木場の古くからの街並みが続いています。次回はこの街並みを歩いてみたいと思います。

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