せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

韓泊・福泊を歩いて(後編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて的形を歩いてみたいと思います。

化粧坂

海嶽寺から街中を歩いていくと、化粧坂(けはいざか)という坂道に差し掛かりました。 見るからに古い道で、緩やかな勾配やカーブに味わいがあります。

播磨灘を望む

下り坂に差し掛かると、家並の向こうに冬の日差しに輝く播磨灘を眺めることができました。 坂の下に広がるのが的形町福泊と呼ばれる地区です。

福泊は古くからの港町で、鎌倉時代に和泉国久米田寺(現在の岸和田市にある寺院)の行円なる僧侶が整備し、一時は摂津の兵庫津と並ぶ港として非常に繁栄したと言われています。前回、摂播五泊の一つである韓泊(と思われる場所)を訪れたのですが、資料によっては韓泊と福泊がごっちゃになっていて、どちらが摂播五泊として整備された港なのかは今となってはよくわかりません。土砂の堆積で使用できなった韓泊の機能がそのまま隣接する福泊に移されたために「韓泊=福泊」ということになって混同されるようになったのだろうかと思うのですが、あくまで私の推測です。

養泉寺

街中にあったのが養泉寺と呼ばれる浄土真宗の寺院です。こちらは和泉国の医師・養泉なる人物が建立したと伝えられています。港を整備した久米田寺の行円といい、和泉国とのつながりには何か理由があるのでしょうか。

福泊神社

地区の西の外れに鎮座するのが福泊神社です。建立年代はわかっていないようですが、やはり福泊の港と同じく鎌倉時代に造られたのでしょうか。本殿は室町時代の造りとのこと。神社の前からは港に向かって真っすぐな道が伸びていました。今は住宅が建ち並ぶ静かな景色が続いていますが、かつては商店や蔵などが集まり、賑わっていたのでしょう。

八家地蔵

海辺に出ると、立派なお堂がありました。こちらは八家地蔵です。沖合の海から引き揚げられたという伝説のあるお地蔵さんは鎌倉時代の作と言われています。もともとは航海の安全を祈願するために祀られていたそうで、やはり、福泊の港が整備されたころにこの地に安置されたのでしょうか。現在は子授けのお地蔵さんとしても知られています。

福泊を眺める

八家地蔵の近くから福泊を眺めてみました。かつて瀬戸内を行き交う船で賑わったと言われる港は、今は静かな漁港となっています。ここが摂播五泊の一つなのかは結局よくわかりませんが、近現代の開発で工業地帯が整備された播磨灘沿いで古い港の面影を残す街並みは貴重な存在ではないかと思います。

もう少しこの街並みを歩いてみたいなと思いつつ、福泊を後にすることにしました。

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