せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

韓泊・福泊を歩いて(前編)

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寒さの中にも春の気配を感じるこのごろ、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

的形駅

今回、復刻仕様の3000号で訪れたのは的形です。

潮干狩り・海水浴

的形といえば潮干狩りや海水浴ですが、今は完全にシーズンオフ。
案内看板もどこか寂しげです。

的形川

海水浴場の方へ向かって的形川沿いを歩いていくことに。
川は川ですが、流れは非常に緩やかで海が近いことを感じさせます。

貧乏岩

的形川沿いに歩いていて見つけたのが貧乏岩
かつて、この付近は入り江で、この岩は海底にあったそうです。入り江に出入りする船がこの岩にぶつかり修理代がかかったことから貧乏岩と呼ばれるようになったとのこと。

的形のこの付近には奈良時代に僧・行基が開いたとされる港、摂播五泊の一つである韓泊があったと言われています。摂播五泊は韓泊の他に室生泊(現在のたつの市御津町)、魚住泊(現在の明石市魚住町)、大輪田泊(現在の神戸市兵庫区)、河尻泊(現在の尼崎市神崎町)の五つの港で、古代より瀬戸内航路だけでなく大陸との交易にも使われたと言われています。しかし、現在に残る資料は少ないようで、整備された歴史はあまりわかっていません。港町としてはかなり栄えたようですが、的形川が運ぶ土砂の堆積で徐々に港湾機能は失われていきました。中世の中頃には港湾として機能しなくなったと考えられているようです。

海嶽寺

貧乏岩の裏山に登ってみました。山中にあったのは海嶽寺という臨済宗の禅宗寺院です。この寺院は奈良時代に行基が開いたといわれているようで、付近では最古の寺院とされています。一時は荒廃したようですが、江戸時代に現在の位置に再建されました。

的形を見下ろす

海嶽寺から的形の街を見下ろしてみました。
住宅やマンションが建ち並ぶ景色に古代の港の面影を感じることは難しいのですが、もう少し歩いて謎の港の歴史に迫ってみましょう。

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