せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

白砂青松の舞子を歩いて(前編)

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雪の舞う寒さ厳しいこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。

舞子公園駅

今回のスタートは舞子公園駅
かつては地上に小さな駅舎がありましたが、明石海峡大橋の開通に合わせて現代的な橋上駅舎に建て替えられました。今でも現在の駅舎の下にかつての駅舎の名残があります。

若宮八幡神社

舞子公園駅から少しわかりにくいビルの中を通り抜けて住宅地に出ました。
松林の中にあったのは若宮八幡神社
立派な名前の神社ですが、木立の中にひっそりとたたずむ小さな社です。

旧木下家住宅

さらに松林の公園の中を歩いていくと、木々に囲まれたお屋敷の入口にたどり着きました。こちらは旧木下家住宅です。もともとは個人宅として建てられた住宅なのですが、現在は兵庫県の所有となり舞子公園の一施設となって内部を見学することができます。

庭を眺める

座敷からは広い庭を眺めることができました。現在は木々が生い茂っていますが、建てられた当初はここから海を眺めることができたのでしょうか。

旧木下家住宅は昭和16(1941)年に又野良介氏という人物が自邸として建てたものです。戦後の昭和27(1952)には木下吉衛門氏という人物の所有となりましたが、平成12(2000)年に兵庫県に寄贈され、舞子公園の施設となりました。舞子公園のほかの施設に比べて地味な存在ですが、茶道の様式を取り入れた数寄屋造りの建物は落ち着いた趣があります。現在、館内では正月飾りや張り子の展示が行われています。

上から旧木下家住宅を眺める

館内を見学していると、裏口の先にエレベータを見つけました。和風の住宅に何だか似合わない設備ですが、エレベータで二階に上がると、なんと、上から旧木下家住宅を眺めることができました。ちょうど、木々の向こうを山陽電車が通過して行き、その向こうには霞ヶ丘の住宅地が広がっています。

古くから景勝地として知られる舞子にはこの旧木下家住宅のほかにも多くの住宅や別荘が建てられました。次回はさらに舞子周辺を歩いてみたいと思います。

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