せっつ・はりま歴史さんぽ|山陽沿線歴史部

多聞寺への道(後編)

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こんにちは、山陽沿線歴史部の内膳正です。
前回に続いて、垂水の多聞寺を訪ねて歩いてみたいと思います。

瓦屋根の家並み

西方院
から多聞寺を目指して歩いてみます。西方院から眺めると、瓦屋根の家並みの向こうにまだ紅葉の残る山を望むことができました。
多聞というと多聞台や本多聞といった大規模な住宅地のイメージがあるかと思いますが、こうした景色も随所で見ることができます。

多聞橋

バス道を歩いて山田川に架かる多聞橋に差し掛かりました。
道幅が広く、橋の存在は希薄ですが、多聞寺の山を望む景色はなかなかのものです。かつては多くの参拝客が行きかったのでしょう。

多聞寺仁王門

多聞寺仁王門の前にたどり着きました。先ほど見てきた位置にあった大門は戦前の昭和12(1937)年にこの位置に移されています。この位置にある方がお寺らしい雰囲気で、先ほどの位置にあったのが信じられないような気がしてしまいますね。

吉祥山多聞寺は平安時代の貞観2(860)年頃に創建されたと伝わる古刹です。紋章に描かれたムカデからわかるように本尊は毘沙門天です。前回見てみましたように、最盛期には広大な寺領や堂宇を持つ大寺院でしたが、多くは失われてしまいました。現在は初夏のカキツバタが広く知られています。

多聞寺の境内

境内の木々は針葉樹が多いようで紅葉はそれほどですが、所々色づいた木を見かけることができ、針葉樹の深い緑色をコントラストを織成しています。

境内から眺める

境内から大門の方を眺めてみました。マンションが建ち、大門の方を見通すことはできませんが、家並みの合間から遠く淡路島の島影を望むことができました。

戦後の住宅開発で大きく姿を変えた多聞地区ですが、ゆっくりと歩いてみればかつての面影を感じることができます。晴れたお休みには近所を散策してみると、新しい発見があるかもしれませんよ。

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